◇◆◇日々のみ言葉
2022年1月5日(水)
◎聖書箇所【マタイの福音書26章17節~25節】
26:17 さて、種なしパンの祝いの第一日に、弟子たちがイエスのところに来て言った。「過越の食事をなさるのに、私たちはどこで用意をしましょうか。」
26:18 イエスは言われた。「都にはいって、これこれの人の所に行って、『先生が「私の時が近づいた。私の弟子たちと一緒に、あなたの所で過越を守ろう。」と言っておられる。』と言いなさい。」
26:19 そこで、弟子たちはイエスに言いつけられたとおりにして、過越の食事の用意をした。
26:20 さて、夕方になって、イエスは十二弟子と一緒に食卓に着かれた。
26:21 みなが食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、私を裏切ります。」
26:22 すると、弟子たちは非常に悲しんで、「主よ。まさか私のことではないでしょう。」とかわるがわるイエスに言った。
26:23 イエスは答えて言われた。「私と一緒に鉢に手を浸した者が、私を裏切るのです。
26:24 確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」
26:25 すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。「先生。まさか私のことではないでしょう。」イエスは彼に、「いや、そうだ。」と言われた。
◎ショートメッセージ
《今日から、またマタイの福音書に戻ります。
「最後の晩餐」について学んで来ました。もう一度、その箇所を掲載し、復習から始めたいと思います。
この「過越の食事」は、一日前であったことは明白です。なぜ一日早く、主イエスが過越の食事を弟子たちとされたのか、その理由を聖書は説明していません。
しかも、マルコ、マタイ、ルカの三つの共観福音書は、種なしパンの祝いの日、すなわち過越の祭りの第一日に、この食事が行なわれたことになっています。
しかし、ヨハネの福音書は、一日前としています。ヨハネの時制が正しいことは一目瞭然です。その理由は、その年に限って、過越の祭りの第一日(ニサンの月の十四日)と安息日が重なる、大いなる日であったからです。
よって最高議会は、主イエスの処刑を祭りが始まる前に終わらせなければなりませんでした。彼らが「過越の食事」にあずかることが出来なくなるからです。
さて、この食事の時に、主イエスは弟子たちにはっきりと言われます。
「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、私を裏切ります。私と一緒に鉢に手を浸した者が、私を裏切るのです。確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」と。
この言葉を聞いたイスカリオテのユダは、本当に驚いたと思います。
「先生。まさか私のことではないでしょう。」
「いや、そうだ。」
主は、「いや、そうだ」と言われますが、これは誤訳です。現代訳では、「あなたは、自分でそう言っているでしょう」となります。つまり、他の弟子たちに分からないように、主イエスはイスカリオテのユダに悔い改めることを促しているのです。》