• 日々のみ言葉 2022年1月16日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2022年1月16日(日)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書26章36節~41節】
    26:36 それからイエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、彼らに言われた。「私があそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。」
    26:37 それから、ペテロとゼベダイの子ふたりとを一緒に連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。
    26:38 そのとき、イエスは彼らに言われた。「私は悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、私と一緒に目をさましていなさい。」
    26:39 それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯を私から過ぎ去らせて下さい。しかし、私の願うようにではなく、あなたのみ心のように、なさって下さい。」
    26:40 それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「あなたがたは、そんなに、一時間でも、私と一緒に目をさましていることができなかったのか。
    26:41 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

    ◎ショートメッセージ
    《引き続き同じ箇所からです。
     主イエスは、過越の祭りの始まる一週間前にベタニヤに来られた時から、ゲッセマネの園において、祈っておられたかと思われます。ルカはこのように書き記しています。

    『さてイエスは、昼は宮で教え、夜はいつも外に出てオリーブという山で過ごされた。(ルカ21:37)』と。
     もちろん、ベタニヤのマルタとマリアと弟ラザロの家にも泊まられたことは間違いありません。しかし、金曜日の夜(ユダヤでは6時間早く次の日が始まる)は、エルサレム市内のヨハネ・マルコの家において、一日早い「過越の食事」を取られ、それから「ゲッセマネの園」に向かわれたのです。この時、あえてベタニアに向かわなかったことは、マルタとマリアとラザロ姉弟に対する配慮ではなかったかと、私は思います。

    「私があそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。」

     主イエスは、ペテロとゼベダイの子ヤコブとヨハネだけを、御側に連れて行かれます。残りの8人の弟子たちは、別の場所にて待機していたと思われます。実際には、ほろ酔い気分で寝ていたことに間違いありません。
     それから主イエスは、石を投げれば届く距離ぐらいに離れて、ひとり祈られたのです。
    「私は悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、私と一緒に目をさましていなさい。わが父よ。できますならば、この杯を私から過ぎ去らせて下さい。しかし、私の願うようにではなく、あなたのみ心のように、なさって下さい。」

     おそらく、主イエスは、かなりの大声で祈られたと考えられます。それだからこそ、うつらうつらしているヨハネにも、聞こえたに違いありません。
     それから、一時間くらい祈られ、3人の所に戻って来ます。そしてペテロに、
    「あなたがたは、そんなに、一時間でも、私と一緒に目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」と言われたのです。》

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