◇◆◇日々のみ言葉
2022年1月17日(月)
◎聖書箇所【マタイの福音書26章42節~44節】
26:42 イエスは二度目に離れて行き、祈って言われた。「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみ心のとおりをなさって下さい。」
26:43 イエスが戻って来て、ご覧になると、彼らはまたも眠っていた。目をあけていることができなかったのである。
26:44 イエスは、またも彼らを置いて行かれ、もう一度同じことをくり返して三度目の祈りをされた。
◎ショートメッセージ
《引き続き、ゲッセマネの園における主イエスの祈りの場面からとなります。
主イエスは、いつものように十一弟子たちと一緒にゲツセマネに来ました。時刻はすでに午後9時を過ぎていたと思われます。
「私があそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。」
それから、ペテロとヤコブとヨハネの3人の弟子を一緒に連れて行かれ、祈られたのです。そしてしばらくしてから、主イエスは3人の弟子たちのところに戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ言われました。
「あなたがたは、そんなに、一時間でも、私と一緒に目をさましていることができなかったのか。」と。
この言葉から、主イエスは、約一時間祈られたことが分かります。
その続きが、今日の聖書箇所です。この時には、それまで何とか眠らずに頑張っていたヨハネも寝てしまったかと思われます。
同じことが二回、そしてさらに三回繰り返されました。その度ごとに、主イエスは、ペテロとヤコブとヨハネを起こされたのです。
私は、この三回と言う数字に、非常に何か意味を感じます。最初の祈りに、主イエスは一時間を費やされました。とするならば、二回目も三回目も、一時間を費やされたと考えるのが普通です。
ゲッセマネの園に到着したのが、午後9時頃だとすると、三度目に戻って来た時は、すでに真夜中であり、午前0時を過ぎていたとも考えられるのです。
十字架に掛けられるまで、残された時間はあと9時間となります。そして、私たちの罪の身代わりとして、死なれる時まで、あと残された時間は、15時間となります。
その時が近づいていたにもかかわらず、十一弟子たちはぐっすり眠っていたわけです。
時が来ました。多くの人々の足音や、話し声が近づきつつありました。またたくさんのたいまつの火が、見え始めていたとも思われます。
十二使徒の一人であったイスカリオテのユダが、ローマ兵や、多くのイスラエルの指導者たちを引き連れて、向かっていたからです。》