◇◆◇日々のみ言葉
2022年1月18日(火)
◎聖書箇所【マタイの福音書26章42節~44節】
26:45 それから、イエスは弟子たちのところに来て言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。
26:46 立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。私を裏切る者が近づきました。」
◎ショートメッセージ
《引き続き、ゲッセマネの園における主イエスの祈りの場面からとなります。
主イエスは、弟子たちから離れて、一時間祈られました。そして戻って来て、ペテロに言われたのです。
「あなたがたは、そんなに、一時間でも、私と一緒に目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」
それから、再び(二度目)彼らから離れて行き、祈られたのです。マタイは「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみ心のとおりをなさって下さい。」
と、祈りの最初の言葉だけを書き記しています。この時も一時間、祈られたことは間違いありません。彼らが覚えていたのは、この最初の言葉だけなのです。
そうです。再び主イエスが戻って来て、ご覧になると、彼らはまたも眠っていたのです。「目をあけていることができなかった」と書かれていますが、この時、主イエスは、一回目と同じように彼らを起こされたと思うのです。
さらに、その後主イエスは、同じ事をくり返して三度目の祈りをされた、とあります。
この時にも一時間近く祈られた事には間違いありません。福音書には、二度目と三度目の祈りの詳細には触れられてはいません。それは、弟子たち全員が眠り込んでいたからと言えるでしょう。
その頃のことです。すでに、イスカリオテのユダは、祭司長たちや民の長老たち、そしてローマ兵の一部隊(600人)を引き連れて、オリーブ山の麓にあるゲッセマネの園に向かっていました。たくさんのたいまつが、灯されていたことは間違いありません。
もし、弟子たちの全員が眠らず、見張り番を置いていたとしたらどうでしょうか。その見張りが異変に気づき、主イエスを始め弟子たち全員に合図を送り、たとえ主イエスが拒んだとしても、無理矢理弟子たちが引き連れて、全員で逃げることが出来たのではないでしょうか。なぜなら弟子たちは、オリーブ山やその麓の村のベテニヤとペテパゲについては、抜け道なども知り尽くしていたに違いないからです。
それゆえ、全員が眠ってしまったことは、実は神様の不思議な摂理の中に起きたことなのです。
主イエスは言われます。
「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。私を裏切る者が近づきました。」と。》