◇◆◇日々のみ言葉
2022年1月19日(水)
◎聖書箇所【マタイの福音書26章42節~44節】
26:45 それから、イエスは弟子たちのところに来て言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。
26:46 立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。私を裏切る者が近づきました。」
◎ショートメッセージ
《昨日に引き続き同じ箇所からとなります。
今日は、主イエスが弟子たちを起こされ、語られた言葉について考えて見ます。
「まだ眠って休んでいるのですか」
昨日は、弟子たち全員が眠ってしまったことは、実は父なる神様の深い摂理の中で起こったことを学びました。私たちは、意外にも、この箇所から眠ってしまった弟子たちを責めたり、また「眠らないで、何時も霊的に目を覚ましていなさい」などと言う、メッセージを聞くことが有りますが、もしこの時、見張り番が起きていたとしたら、すぐにもただならぬ気配を感じ取って、その場から全員が避難出来たことは明白です。
しかし、弟子たちは、一日早い「過越の食事」と美味しい葡萄酒を飲んで、満腹となり本当に眠くて仕方がなかったのです。しかし、ついに起きる時が、目を覚まさなくてはならない瞬間が訪れました。
「見なさい」
目を開けなければ、見ることは出来ません。
「時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです」
主イエスが、これまでに三度以上にわたって預言した「受難予告」が成就する時が来たのです。「人の子」すなわち、主は「罪人たち」、つまり異邦人のローマ人に渡されると言うことを意味しています。
「立ちなさい。さあ、行くのです」
立ち上がる時が来たのです。いいえ。立ち上がらなければならない時が来ました。
「見なさい」
二度目に言われたこの言葉は、見るべき対象が違っていることを示しています。
「私を裏切る者が近づきました」
この時、十一弟子たちの22個の瞳は、誰を見たのでしょうか。何と先頭を歩いていたのは、三年以上にもわたって、主イエスの公生涯を、共に歩み、共に過ごしたイスカリオテのユダであったのです。
この時、彼らは初めて知る事になります。誰が裏切り者なのかを。しかし、主イエスの言葉に注目して欲しいのです。何と、「裏切った者」と過去形ではなく、「裏切る者」と未来形が使用されているのです。
この言葉に、まだイスカリオテのユダの悔い改める機会が込められています。主のたわいのない大いなる愛が込められているのです。》