• 日々のみ言葉 2022年1月21日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2022年1月21日(金)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書26章48節~50節】
    26:48 イエスを裏切る者は、彼らと合図を決めて、「私が口づけをするのが、その人だ。その人をつかまえるのだ。」と言っておいた。
    26:49 それで、彼はすぐにイエスに近づき、「先生。お元気で。」と言って、口づけした。
    26:50 イエスは彼に、「友よ。何のために来たのですか。」と言われた。そのとき、群衆が来て、イエスに手をかけて捕えた。

    ◎ショートメッセージ
    《ついに、主イエスを裏切る者がやって来ました。もちろん、この時に何が起こっていたのか、主イエスはすべてご存知でした。
     イスカリオテのユダは、ローマ兵たちと、おそらく百人隊長と合図を決めていたかと思われます。
     なぜなら、正統的ユダヤ人は、皆ほぼ同じ様な出で立ちをしており、顔にもヒゲを同じように生やしていたからです。ユダヤ人たちには、ある程度、見分けが付いたとしても、異邦人であるローマ兵士には、皆同じように見えてしまい、誰が誰だか分からないのが現状だったからです。
     たとえば、アメリカ人に取って、黄色人種である日本人の顔もまったく同じように見えてしまい、誰が誰なのか分からないと言うのです。文化の違いはここにも表われていると言えそうです。

    「先生。お元気で。」
     まさに、悲劇です。ほぼ3年半にもおよぶ短いようで長い時間を、共にいることを赦して下さった主イエスを、親愛の印である「口づけ」で裏切ろうとしているからです。

     それに対して、主はこう言われます。
    「友よ。何のために来たのですか。」

     分かっているのに、あえて主イエスはイスカリオテのユダに聞いたのです。この時もまだイスカリオテのユダは、十二使徒の一人であったのです。主イエスにとっては、「友」であり、また「弟子」でもあるのです。この言葉は、裁きや怒りではなく、「何のために来たのか」と、その理由と動機を求めておられるのです。

     しかし、イスカリオテのユダは、主イエスの足下にひざまづくことも、主のもとに戻ることも出来なかったのです。なぜでしょうか。これこそが、罪の結果なのです。明日も同じ箇所からとなります。》

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