• 日々のみ言葉 2022年1月22日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2022年1月22日(土)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書26章48節~50節】
    26:48 イエスを裏切る者は、彼らと合図を決めて、「私が口づけをするのが、その人だ。その人をつかまえるのだ。」と言っておいた。
    26:49 それで、彼はすぐにイエスに近づき、「先生。お元気で。」と言って、口づけした。
    26:50 イエスは彼に、「友よ。何のために来たのですか。」と言われた。そのとき、群衆が来て、イエスに手をかけて捕えた。

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からとなります。

     ヨハネによる同一並行記事では、
    『ところで、イエスを裏切ろうとしていたユダもその場所を知っていた。イエスがたびたび弟子たちとそこで会合されたからである。そこで、ユダは一隊の兵士と、祭司長、パリサイ人たちから送られた役人たちを引き連れて、ともしびとたいまつと武器を持って、そこに来た。
     イエスは自分の身に起ころうとするすべてのことを知っておられたので、出て来て、「だれを捜すのか。」と彼らに言われた。
    「ナザレ人イエスを。」と答えた。イエスは彼らに
    「それは私です。」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒に立っていた。
     イエスが彼らに、
    「それは私です。」と言われたとき、彼らはあとずさりし、そして地に倒れた。
     そこで、イエスがもう一度、
    「だれを捜すのか。」と問われると、彼らは
    「ナザレ人イエスを。」と言った。イエスは答えられた。
    「それは私だと、あなたがたに言ったでしょう。もし私を捜しているのなら、この人たちはこのままで去らせなさい。」
     それは、「あなたが私に下さった者のうち、ただのひとりをも失いませんでした。」とイエスが言われた言葉が実現するためであった。(ヨハネ18:2~18:9)』となっています。

     この記事の中には、イスカリオテのユダが、主イエスに口づけする場面がカットされています。そればかりではありません。三つの共観福音書には書かれていない事実が描かれています。
     それでは、イスカリオテのユダが口づけで裏切る場面は、どの辺りに入るべきなのでしょうか。ヨハネの福音書における同一並行記事の中に挿入することは、非常に難しいのです。もしあえて入れるとしたら、主イエスが一回目として、「それは私です」と、一回目に言われた時ではないでしょうか。なぜなら、その時にその場にイスカリオテのユダは立っていた、と書かれてあるからです。》

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