◇◆◇日々のみ言葉
2022年1月25日(火)
◎聖書箇所【マタイの福音書26章55節~56節】
26:55 そのとき、イエスは群衆に言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って私をつかまえに来たのですか。私は毎日、宮ですわって教えていたのに、あなたがたは、私を捕えなかったのです。
26:56 しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです。」そのとき、弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。
◎ショートメッセージ
《マルコにおける同一並行記事では、
『イエスは彼らに向かって言われた。
「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って私を捕えに来たのですか。私は毎日、宮であなたがたと一緒にいて、教えていたのに、あなたがたは、私を捕えなかったのです。しかし、こうなったのは聖書の言葉が実現するためです。」
すると、みながイエスを見捨てて、逃げてしまった。ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕えようとした。すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた。(マルコ14:48~14:52)』と書かれています。
実は、ここにはマルコの福音書にしか、書かれていない記事が掲載されています。マタイの福音書は、マルコの福音書を基にして書かれたと伝えられていますが、マタイはこの記事を省略しています。それは、主イエスに付いて行ったある青年の事です。この人物こそ、ヨハネ・マルコ本人であると考えられます。
彼はどこから付いて行ったのでしょうか。もちろん、自分の家からです。最後の晩餐が行なわれた場所こそ、ヨハネ・マルコの家の二階の大広間だったからです。
先日、水澤心吾さんが、ある朝祷会の奨励に来てくれました。その時のお話が、2021年1月に、エルサレムに「一人芝居」の公演と観光に行った時の証しであったのです。
終了後、エルサレム市内の写真を見せていただきましたが、何と「ヨハネ・マルコの家」が残っていると言われるのです。しかも、その時には改修工事中であって、水澤さんたち一行だけが、見学を許可されたとの事でした。
その写真は、最後の晩餐が行なわれた二階の大広間の写真でした。今から二千年以上前の建物とは思えないほどの、現在でも通用するような、豪華な石造りの建築物だったのです。果たしてこれが当時の建物かどうか、真偽は分かりませんが、水澤さんが言われるには、間違いなく「ヨハネ・マルコの家」なんだそうです。
もし、これが本物であるとしたら、ヨハネ・マルコの母マリアの夫である主人(主イエス一行の過越の食事を準備した家のあるじ)は、かなり裕福であったことは間違いありません。そして、迫害者サウロが入り込めなかったことから、私が推測するとおり、ディアスポラのユダヤ人であったと同時にローマ市民であったことも、ほぼ確信した次第であります。
明日も同じ箇所からとなります。》