◇◆◇日々のみ言葉
2022年2月6日(日)
◎聖書箇所【マタイの福音書27章3節~5節】
27:3 そのとき、イエスを売ったユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を、祭司長、長老たちに返して、
27:4 「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして。」と言った。しかし、彼らは、「私たちの知ったことか。自分で始末することだ。」と言った。
27:5 それで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、外に出て行って、首をつった。
◎ショートメッセージ
《マタイは、ここに不思議な記事を掲載しています。それはゲッセマネの園の後のイスカリオテ・ユダの行動についてです。
まず、イスカリオテのユダが主イエス様を売り渡す場面を、もう一度復習したいと思います。
マタイの福音書によれば、
『そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちの所へ行って、こう言った。
「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。そのときから、彼はイエスを引き渡す機会をねらっていた。(マタイ26:14~26:16)』と、書かれています。
ところで、この場面と、また今日の「日々のみ言葉」の場面が、なぜこのように詳細にわたって福音書に書き記されているのでしょうか。私は非常に不思議に感じるのです。
この両方の場面に共通する人物は、イスカリオテのユダを除いて、祭司長たちと長老たちだけです。
しかし、イスカリオテのユダは、この後自殺してしまうのです。よって、この時の事実を知っているのは、最初に銀貨三十枚を渡した者と、イスカリオテのユダが銀貨を返しに来た時受け取った者の中に、やがて救われて主の弟子となった者が存在すると言うことではないでしょうか。
これは、単なる私個人の推測にしか過ぎませんが、イスカリオテのユダは、主イエスの後についていって、最高議会の裁判にも同席していたのではないでしょうか。
それゆえに、彼は後悔したのです。
「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして。」と。
しかし、祭司長、長老たちは、
「私たちの知ったことか。自分で始末することだ。」と言うのです。
イスカリオテのユダは、銀貨を一度返そうとしたに違いないのですが、祭司長や長老たちは、受け取ろうとせずに、彼に再び手渡したと思われます。
それゆえ彼は、神殿に行き、銀貨を投げ込んだのです。いったいどこに投げ込んだのでしょうか。神殿にたたきつけるようなことをするでしょうか。そんなことをしたら、不敬罪で捕まらないはずがありません。私は、大きな音の出る献金口に投げ入れたと考えています。そして、その後、外に出て行って——–。
明日も同じ箇所からとなります。》