• 日々のみ言葉 2022年2月7日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2022年2月7日(月)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書27章3節~5節】
    27:3 そのとき、イエスを売ったユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を、祭司長、長老たちに返して、
    27:4 「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして。」と言った。しかし、彼らは、「私たちの知ったことか。自分で始末することだ。」と言った。
    27:5 それで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、外に出て行って、首をつった。

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からとなります。

     主イエスは、かつて十二使徒たちにこのように言われました。
    『みなが食事をしているとき、イエスは言われた。
    「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、私を裏切ります。」
     すると、弟子たちは非常に悲しんで、
    「主よ。まさか私のことではないでしょう。」とかわるがわるイエスに言った。イエスは答えて言われた。
    「私と一緒に鉢に手を浸した者が、私を裏切るのです。確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」
    すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。
    「先生。まさか私のことではないでしょう。」イエスは彼に、
    「いや、そうだ。」と言われた。(マタイ26:21~26:25)』

     最後の主イエスの言葉、「いや、そうだ。」は誤訳で、「あなたは、そう言っているでしょう。」が、本来の主が言われた意味になります。
     ここで、「人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」と言われていますが、この言葉は主イエスの本心ではありません。主の御心は、ただ一つです。それは、
    「悔い改めて、生きよ。」と言うことです。

     イスカリオテのユダは、なぜ主イエスの所に戻ろうとしなかったのでしょうか。彼は、
    「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして。」と、告白していることから、悔い改めたことは間違いありません。
     そうであるならば、彼は、ゴルゴタの丘に行くべきでした。主イエスの十字架の御もとにひれ伏すべきでした。もちろん、その後、主は午後3時に、十字架上において、息絶えられるのです。
     しかし、もしその時まで、イスカリオテのユダが生きていたとしたら、主の御側にいたとしたら、主イエスは、真に彼の罪の身代わりとして死んで下さる事になるのです。

     しかし、その前に、聖書は悲劇的な事実を書き記しています。それは、
    『彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、外に出て行って首をつった。』と。》

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