• 日々のみ言葉 2022年2月17日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2022年2月17日(木)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書27章24節~25節】
    27:24 そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」
    27:25 すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」

    ◎ショートメッセージ
    《エルサレムの祭司長たち、民の長老たちは、ローマ帝国反逆罪を犯したバラバ・イエスの釈放を願うよう、そして、ナザレのイエスを死刑にするよう、群衆を説きつけたのです。しかし、総督ピラトは彼らに答えて言います。
    「あなたがたは、ふたりのうちどちらを釈放してほしいのか。」
    「バラバだ。」
    「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」
    「十字架につけろ。」
    「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」
    「十字架につけろ。もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべて、カイザルにそむくのです。」

     この言葉に、ポンテオ・ピラトは、ついに意を決するのです。そこで彼は、部下に命じて、手を洗う水を取り寄せさせます。そして群衆の目の前で手を洗いながら言います。
    「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」

     これは、何とも責任逃れの言葉ではないでしょうか。しかし、「使徒信条」はこう告白します。「ポンテオ・ピラトのもとに十字架につけられ」たと。
     彼がどんなに自分を正当化しようとしても、罪人を十字架刑に処することが出来るのは、ローマ総督なのです。ユダヤ人の群衆でも、祭司長たちでも、民の長老たちでもないのです。
     すると、群衆は、こう言います。
    「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」

     この言葉ほど、神様を冒涜するものはないと言えるでしょう。しかもこの言葉は預言となって、そのとおりに成就するのです。
     尾山令仁師によれば、紀元70年にエルサレムが陥落した時に、この言葉が成就したと言われます。主イエスを十字架につけたユダヤ人は、主イエスに立ち返った者を除いて、全員がその時に裁かれたと思います。
     その後も歴史上において、ユダヤ人たちに対する迫害は続きます。そのことは、誰もが知っているとおりです。

     今なお、メシアニック・ジューの方々を除いて、多くのユダヤ人は、主イエスを救い主とは認めようとしません。やがて、登場する世界的指導者(反キリスト)を、メシアとして受け入れることが「ヨハネの黙示録」に書かれています。
     しかし、主イエス・キリストの再臨の時には、残されたユダヤ人全員が、主の御名を叫ぶことになるのです。》

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