◇◆◇日々のみ言葉
2022年2月19日(土)
◎聖書箇所【マタイの福音書27章26節~31節】
27:26 そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。
27:27 それから、総督の兵士たちは、イエスを官邸の中に連れて行って、イエスの回りに全部隊を集めた。
27:28 そして、イエスの着物を脱がせて、緋色の上着を着せた。
27:29 それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言った。「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」
27:30 また彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。
27:31 こんなふうに、イエスをからかったあげく、その着物を脱がせて、もとの着物を着せ、十字架につけるために連れ出した。
◎ショートメッセージ
《「あなたがたは、ふたりのうちどちらを釈放してほしいのか。」
「バラバだ。」
「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」
「十字架につけろ。」
「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」
「十字架につけろ。もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべて、カイザルにそむくのです。」
「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」
「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」
『そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した』とあります。
ところで、なぜ主イエスはむち打たれなければならなかったのでしょうか。最初は、何とかユダヤ人たちの機嫌を取る為に、夢想家なるナザレのイエスの目を覚まさせる為に、またエルサレム市内中をこれほどまでに騒がした刑罰として、むち打ちの刑を思いついたはずなのです。
しかし、結局、民衆の声に負けて、無罪であるにも関わらす、究極刑である十字架刑を命じたのです。そうであるとしたら、むち打ちの刑をする必要はないはずなのです。これでは、刑罰が二重に行なわれることになります。
実は、これも神様の不思議な摂理なのです。「悲しみのメシヤ預言」である「イザヤ書53章にはこのように書かれています。
『まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。(イザヤ53:4~53:5)』と。
主イエスが「癒し主」であられるのは、このむち打ちの刑による、背中の打ち傷にあるのです。この傷によって流された尊い血潮こそが「癒しの源」であるからです。》