◇◆◇日々のみ言葉
2022年3月6日(日)
◎聖書箇所【マタイの福音書27章45節~49節】
27:45 さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。
27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか。」という意味である。
27:47 すると、それを聞いて、そこに立っていた人々のうち、ある人たちは、「この人はエリヤを呼んでいる。」と言った。
27:48 また、彼らのひとりがすぐ走って行って、海綿を取り、それに酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。
27:49 ほかの者たちは、「私たちはエリヤが助けに来るかどうか見ることとしよう。」と言った。
◎ショートメッセージ
《主イエスが十字架につけられたのは、太陽暦において、午前9時になります。そして、その3時間後に、すなわち午後12時から空が真っ暗になり始めたとのことです。
これこそが、父なる神様が、御子・主イエス・キリストを見捨てられたことの決定的なしるしでもあるのです。そして、その暗闇は午後3時まで続いたとあります。
つまり、主イエスが「完了した」と叫ばれ、息を引き取られる時まで、真っ暗闇が続いたことになります。
伝承では、その後、地震が起こり、雷雨になったとも言われています。地震が起こって、神殿の幕が上から下に向けて真っ二つになったことは、聖書に書き記されていますが、雷雨になったことは、聖書には書かれてはいません。
有名なハリウッド映画「ベン・ハー」では、雷雨の見解を取って、嵐がやって来て、最も感動的なシーンを描いています。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」
この言葉は、前者の「エリ」はヘブル語であり、「レマ、サバクタニ」はアラム語です。意味は、書かれた通り「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか。」と言うことです。
この時、父なる神様は、本当に御子イエスを見捨てられたのでしょうか。主イエスは、私たち罪人の身代わりとなられたのです。罪人は、まさしく見捨てられる存在です。
しかし、主イエスは、すべての人々が受けるべきすべての裁きを一身に引け受けられました。ここに「愛」があるのです。ここに、まことの「神の愛」が示されたのです。
人々は、「エリヤ」が来るかも知れないと、エリヤが主イエスを助けに来ることを、期待していたのです。なぜなら、そのことがマラキ書に預言されていたからです。
しかし、先駆者エリヤの役目を果たす人物はすでに来ていました。それが「バプテスマのヨハネ」なのです。パリサイ人や律法学者たち、祭司長たちや民の長老たちは、それを認めようとはしませんでした。この時には、もちろんヨハネはおりません。すでにヘロデ・アンティパスの手によって殉教していたからです。》