• 日々のみ言葉 2022年3月18日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2022年3月18日(金)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書28章1節】
    28:1さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。

    ◎ショートメッセージ
    《今日から、マタイの福音書の学びも、いよいよ最後の28章に入ります。これまで、マルコの福音書、ヨハネの福音書、ルカの福音書、使徒の働き、そしてマタイの福音書と学んで来ましたが、今後は、尾山令仁先生の「聖書の講解」を用いて、日々の御言葉によるデボーションを掲載して行きたいと考えています。2015年6月から始めて、約7年が経過することになりました。今回、ここら辺りで、いったん方向を変えて見たいと思います。

     さて、二手に分かれた十二使徒たち、そして女たちは、律法に従って、安息日をそれぞれの隠れ家で過ごしました。
     「週の初めの日の明け方」とは、日曜日のことです。プロテスタントの多くの教会は、主イエスが復活された日曜日に、集まって礼拝を捧げています。
     しかし、実際には、礼拝は何時でもどこででも出来るものなのです。それこそ、毎日が「主の日」と言っても良いくらいです。日本にリバイバルが訪れたのなら、毎日礼拝があると良いですね、と思うのは私だけでしょうか。

     安息日が終わるのは、ユダヤでは、夕方の午後6時になります。その時、いっせいに僅かな時間ですが、店が開きます。そして夜が訪れ、朝がやって来るのです。
     ガリラヤから主イエスに付いて来た女たちは、安息日が終わると、急いで店に行き、香料と油を購入しました。夜が明けたら、真っ先に主イエスの御からだに、油と香料を塗るためです。
     前々日には、マグダラのマリヤと他の女たち、そしてシモン・ペテロとヨハネは、主イエスがどこの墓に葬られたのか、確認して知っています。彼らも安息日には動かず、じっとしていたことは間違いありません。
     おそらくその場所は、エルサレム市内にあります「ゼベタイの家」であったと思われます。失意のどん底にある主の母マリアを、妹サロメが自分の家に連れ帰ったからです。マグダラのマリヤと他のマリヤ、そしてシモン・ペテロとヨハネも一緒です。

     しかし、残りの9人の弟子たちは、どこにいたのでしょうか。おそらくゲッセマネの園からオリーブ山の麓にある、ベタニヤのマルタとマリアの家に逃げかえったことが考えられます。そして、安息日には、ひっそりと隠れていたと思われます。
     いずれにせよ、週の初めの日であるその日のうちに、彼らは、ヨハネ・マルコの家で合流することになります。そして、そこにはクレオパ夫妻も合流します。》

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