◇◆◇日々のみ言葉
2022年8月4日(木)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙7章15節~20節】
7:15 私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。
7:16 もし自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いものであることを認めているわけです。
7:17 ですから、それを行なっているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。
7:18 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
7:19 私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。
7:20 もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『7:15 私には、自分のことがよく分からない。と言うのは、自分の良心の願い通りにはしないで、それと反対のことをしてしまうからである。
7:16 私が良心に反することをしているとすれば、一応、律法は認めているわけで、それは善いものである。
7:17 そうすると、思いと言葉と行ないにおいて、自分の良心に反することをしているのは、私のうちある生まれながらの古い人である。
7:18 私たちの生まれながらの古い人に、善いものが少しもないからである。良心の願いに従いたいという思いは、私のうちにあるのだが、それを実行することができない。
7:19 私は、良心の願いに従うことが出来ず、それと反対のことばかりをしてしまう。 7:20 ところで、私は良心に反することをしているのだから、それをしているのは、私のうちにある生まれながらの古い人である。』
なぜ、「私たちの生まれながらの古い人」には、善いものが何もないのでしょうか。それは、最初の人アダムとエバの罪を背負って生まれてくるからです。これを原罪と言いますが、罪の性質を受け継いでいるゆえ、パウロが言う通り、「自分の良心の願い通りにはしないで、それと反対のことをしてしまう」のです。
主イエス様に出会った時に、私たちの霊は再創造され生まれ変わりました。しかし、相変わらず、肉と言う自分の体の家に住んでいるのです。この肉こそが、生まれながらの古い人なのです。やがて、この肉が贖なわれる時がやって来ます。それが、主の再臨の時です。
この時こそ、私たちが「永遠のいのち」を持っていることを、ひしひしと感じるに違いありません。
しかし、主が再臨されるまでは、私たちは、この世に留まっています。私たちは、御霊(聖霊様)と共に歩むのです。このお方の助けをかりながら、この世における使命を果たして行くのです。》