◇◆◇日々のみ言葉
2022年8月22日(月)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙8章26節~27節】
8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けて下さいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなして下さいます。
8:27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみ心に従って、聖徒のためにとりなしをして下さるからです。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。再度、現代訳を掲載します。
『8:26 御霊もまた私たちの弱さを助けて下さる。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのに、御霊ご自身が、言いようもない深い御思いによって、私たちのためにとりなして下さる。
8:27 人の心の中をも探り知られる父である神は、御霊の御思いが何であるかを知っておられる。というのは、御霊は父である神の御心に従って、クリスチャンのためにとりなして下さるからである。』
ここで、「異言」で祈ることについて考えて見たいと思います。私たちは、パウロがクリスチャンに対して、祈りについて、次のように勧めていることを知っています。
テサロニケ人への手紙によりますと、
『絶えず祈りなさい。(Ⅰテサロニケ5:17)』と。
そして、エペソ人への手紙によりますと、
『すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。(エペソ6:18)』と。
実際問題として、言葉に出して、あるいは心の中であっても、普段使用する言語を用いて、絶えず祈ることは物理的に無理があります。しかし、異言ならばそれが出来るかと思われるのです。
それが、パウロが言う「どんなときも御霊によって祈る」ことだと思うのです。異言は、口に出す必要はありません。もちろん口に出しても良いのですが、人の目につく所ではなく、奥まった所で、神様と一対一で対峙出来る環境において、声に出すべきです。
大切なことは、声に出さなくても、今自分が異言で祈っていることを覚醒していることなのです。その時、御霊も共に祈って下さると信じています。》