◎本日の聖書箇所【使徒の働き19章1節~7節】(新約聖書p.273下段右側)
19:1 アポロがコリントにいたときのことであった。パウロは内陸の地方を通ってエペソに下り、何人かの弟子たちに出会った。
19:2 彼らに「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは「いいえ、聖霊がおられるのかどうか、聞いたこともありません」と答えた。
19:3 「それでは、どのようなバプテスマを受けたのですか」と尋ねると、彼らは「ヨハネのバプテスマです」と答えた。
19:4 そこでパウロは言った。「ヨハネは、自分の後に来られる方、すなわちイエスを信じるように人々に告げ、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」
19:5 これを聞いた彼らは、主イエスの名によってバプテスマを受けた。
19:6 パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が彼らに臨み、彼らは異言を語ったり、預言したりした。
19:7 その人たちは、全員で十二人ほどであった。
◎メッセージ【エペソでの十二人の弟子】
《パウロは、船を使わず内陸を通り、エペソにやって来ました。エペソは、第二回伝道旅行の時に、コリントの港町ケンクレアから、船でプリスキラとアキラ夫婦と共に訪れた場所でした。この時は、パウロに日程の余裕がなく、短い期間での伝道でしたが、主の恵みによって、救われる魂が用意されていたのです。パウロは、預言通りエペソに戻って来たのです。
そしてそこで何人かの弟子にあったのです。この弟子たちは、以前パウロが伝道し導いた者ではありません。彼らは、アポロによって導かれたのです。そこで、パウロは質問します。
「信じたとき、聖霊を受けましたか」
「いいえ、聖霊がおられるのかどうか、聞いたこともありません」
「それでは、どのようなバプテスマを受けたのですか」
「ヨハネのバプテスマです」
『ヨハネのバプテスマ』とは、この時ら20数年前にエルサレム郊外において、洗礼者ヨハネが、『罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマ』を授けていたことです。おそらくアポロは、ヨハネ本人からバプテスマを受けたに違いありません。これは、福音を受けるには、「悔い改め」が先決であり、必要であると言うことです。「悔い改め」とは、自分自身が罪人であることを認めることです。罪がわからなければ、主イエスの十字架の恩恵が分からないのです。
さて、そこでパウロは彼らに言います。
「ヨハネは、自分の後に来られる方、すなわちイエスを信じるように人々に告げ、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」と。
そして、これを聞いた彼らは、主イエスの名によって、バプテスマを受けました。それから、パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が彼らに臨み、彼らは異言を語ったり、預言したりするのです。この時、ペンテコステの日に起こったことが、再現されたのです。
ルカは、ここで興味ある記事を書き記しています。それは、聖霊のバプテスマを授かったのは、全員で十二人ということです。なぜ、ルカはあえてこの数を掲載したのでしょうか。単なる偶然でしょうか。
パウロは、キリスト教の教理と、「主イエスが選ばれた十二使徒」について彼らに話したに違いありません。この時、まだほとんどの十二使徒が生き残っていたからです。
主は、この十二人の弟子たちを、エペソ教会における重要な弟子として用いられたのではないでしょうか。もちろん、その事については、聖書には書かれてはいません。
しかし、ルカがあえて書き記した「十二人」は、エペソ教会が一世紀末から二世紀初頭にかけて、キリスト教の中心的教会として重んじられるまでになり、その土台信者として選ばれたことは、十分察し出来ることです。もちろん、プリスキラとアキラ夫婦もです。
そして、紀元70年、聖都エルサレム崩壊後、長老と呼ばれた使徒ヨハネが迎えられ、最後の主イエスの生き証人として、弟子たちを導き教え、その生涯を終えたのも、このエペソ教会なのです。》