◇◆◇日々のみ言葉
2022年8月30日(火)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙8章33節~34節】
8:33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めて下さるのです。
8:34罪に定めようとするのはだれですか。死んで下さった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていて下さるのです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『8:33 だれが、神に選ばれた人たちを訴えることができるだろうか。とんでもない。神が無罪だと宣言しておられるではないか。
8:34 だれが裁くことなどできるだろうか。キリスト・イエスは死んで、その後復活され、神の右の座に着いておられ、今、私たちのために、とりなしていて下さるではないか。』
この箇所こそ、現代訳が素晴らしいと言えると思います。
「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。(新改訳)」
「罪に定めようとするのはだれですか。(新改訳)」
この箇所を読むたびに、この主語が「だれ」であって、私は、読んでいる自分自身が、その「だれ」であるかと思っていました。そのように取れるからです。
しかし、そうではないのです。現代訳は、まさにその真理を教えています。
「だれが、神に選ばれた人たちを訴えることができるだろうか。(現代訳)」
「だれが裁くことなどできるだろうか。(現代訳)」
そして、その後に、「私たちのために」と続いており、この文節の主語が「だれ」ではなく「私たち」であることが、明白にされています。
イエス様の十字架と復活によって、私たちは救われました。父なる神様は、私たち一人一人を、主イエス様の十字架と言うフィルターを通してご覧になられるのです。そこには、もはや罪人ではなく、神様の子どもだけがいることになります。
しかし、神様の子どもとされた今であっても、この世に置かれている限り、私たちは罪を犯しやすい存在であることは、事実です。
それゆえ、主イエス様は、「神の右の座に着いておられ、今、私たちのために、とりなしていて下さる」のです。私たちには、弁護して下さるお方がいます。》