◇◆◇日々のみ言葉
2022年8月31日(水)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙8章35節】
8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『8:35 だれが、キリストの愛から、私たちを引き離すことができようか。患難か、苦しみか、迫害か、飢えか、欠乏か、危険か、死か。』
この箇所の言葉は、まさしく使徒パウロが経験したことから出て来る、本物の証しであると、私は思っています。パウロは、自分自身が書いたこのすべてのことを、味わったのです。
第Ⅱコリントにおいてパウロは、
『彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。
ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。
幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。(第Ⅱコリント11:23~11:27)』と証ししています。
新改訳で、「剣」と訳された言葉は、現代訳では「死」となっています。パウロは、実際に、ユダヤ人による「石打の刑」において、一回は死んだのです。
彼は何の為に、このような苦しみを体験したのでしょうか。それは、主イエス・キリストの深い愛と恵みを知っていたからです。
パウロほど、主イエス様の十字架の贖いの意味と、言葉には言い尽くせないほどの神様の愛と恵みを、全身全霊において知っていた人はいないのではないでしょうか。若かった彼は、教会を迫害し、多くの主にある兄弟姉妹を殉教させたのですから。》