• 日々のみ言葉 2022年9月15日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2022年9月15日(木)

    ◎聖書箇所【ローマ人への手紙9章30節~33節】
    9:30 では、どういうことになりますか。義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。すなわち、信仰による義です。
    9:31 しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。
    9:32 なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行ないによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。
    9:33 それは、こう書かれているとおりです。「見よ。私は、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」

    ◎ショートメッセージ
    《現代訳を掲載します。
    『9:30 それでは、どういうことになるのだろうか。異邦人は救いを求めていなかったのに、その救いを得た。それは、信仰によって得たのである。
     9:31 しかしながら、神の選民であったイスラエルの民は、神から与えられた律法を一生懸命守ろうとしたにもかかわらず、救いを得ることができなかった。
     9:32 なぜかというと、彼らは信仰によって得ようとしないで、自分の行ないによって得ようとしたからである。彼らは、キリストにつまずいたのである。
    9:33 それは、旧約聖書のイザヤの預言にこう書かれてあるとおりである。「さあ、私はエルサレムに、つまずきの石、妨げの岩を置く。しかし、彼に信頼する者は、失望させられることがない。」』

     「義」
     何と言う難しい訳の言葉なのでしょうか。「義」とは何でしょうか。これは、神様の側から見た言葉ではないでしょうか。
     現代訳では、「義」ではなく「救い」としています。この訳は、こちら側の立場に立っています。

    「律法」は、モーセを通してユダヤ人に与えられましたが、実は全人類に向けて与えられたものなのです。もちろん、モーセ五書の中には、ユダヤ人だけに適応される「祭儀律法」なども書かれています。
     しかし、律法によって、罪とは何かが、全人類に示されました。「救い」は、もちろん信仰によって得られるのです。しかし、そうであっても、その信仰を得る為の行ないも必要です。

     それは、ユダヤ人に課せられた律法の「かせ」ではなく、主イエス様の、十字架と復活が、私自身の身代わりであったことを、心から信じること。
     そしてイエス様を主として受け入れ、口で告白すること。助け主、聖霊様と共に歩むこと。このように、信仰を行動で示すことも必要なのです。
     しかし、ユダヤ人は、「昔の人の言い伝え」を守ることだけに専念し、それで「救い」を得たと誤解したのです。それをパウロは言っています。明日も同じ箇所からです。》

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