• 日々のみ言葉 2015年8月5日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年8月5日(水)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書3章22節】

    3:22 また、エルサレムから下って来た律法学者たちも、「彼は、ベルゼブルに取りつかれている。」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ。」とも言った。

    ◎ショートメッセージ

    《「学者」とは、どのような人物であるのだろうか。広辞苑は、このように記している。「学問に優れている人。学問を研究する人。」であるという。だとしたら「律法学者」とは、律法に優れている人であり、律法を研究する人となる。では「律法」とは何か。せまい意味では、「モーセ五書」を指し示すが、広い意味では、「トーラー」すなわち旧約聖書(ユダヤ聖書)全般を指し示す。そこに書いてある内容について、具体的に研究し、ユダヤの人々に教えるのが律法学者であった。実は二つの流れがあり、祭司たちはサドカイ派、そして律法学者は、パリサイ派に属していた。それゆえ主イエスは、「忌まわしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち」と、彼らに対して、そのように言われたのである。
     主イエスと、最後まで敵対したのが、律法学者とパリサイ人であった。彼らは旧約聖書に通じている専門家であり、また「伝承(口伝律法)」を、忠実に守る人々であったが、主イエスは、彼らの本性について、このように群衆と弟子たちに話された。

     『その時、イエスは群衆と弟子たちに話をして、こう言われた。「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。けれども、彼らの行ないをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。また、彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとはしません。彼らのしていることはみな、人に見せるためです。経札の幅を広くしたり、衣のふさを長くしたりするのもそうです。また、宴会の上座や会堂の上席が大好きで、広場であいさつされたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きです。」(マタイの福音書23:1~23:7)』

     要するに、不言実行ではなく、有言不実行であったのである。その彼らが主イエスを言及したのだ。。
    「ベルゼブル」とは、第Ⅱ列王記1章に出て来るエクロンの神「バアル・ゼブブ」から派生した言葉とも取れる。意味は「ハエの神様」である。要するに悪魔を指している。それゆえ彼らは次に、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ。」と言ったのである。
     これは、どういう意味か。主イエスが、「悪魔に取り憑かれている」ということであり、すなわち主イエスは、「神から来た者ではない。悪霊どもの頭だ。」と言っているのである。つまり、主イエスを真っ向から否定しているわけである。しかも、彼らは、この時までに、主イエスによって行なわれた様々な奇跡を目の当たりに見てるにも関わらず、それを悪魔・悪霊どもの力としたのである。
     ここに決して赦されない罪がある。主イエスは聖霊様に満たされていた。油注がれたいた。聖霊なるお方のみわざを、神のみわざを、律法学者とパリサイ人たちは、冒涜したのである。
     主は言われた。
     『「だから、私はあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。」(マタイの福音書12:31 )』

     また使徒パウロはこのように勧めている。
    『神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。(エペソ人への手紙4:30 )』
    『御霊を消してはなりません。(第Ⅰテサロニケ5:19)』

     今でも多くのプロテスタントのキリスト教会が、聖霊なるお方を、父なる神様そして御子イエス・キリストと全く同じ神様(同位格)であることを否定している。このお方は、人格を持たれ、私たちと交わってくださる「助け主」であり、「慰め主」であられる。祝祷に「聖霊の御交わりが」は、まさしくそのことを指しているのである。》

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