◇◆◇日々のみ言葉
2022年11月11日(金)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙12章4節~5節】
12:4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、
12:5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『12:4 それは、一つのからだには多くの部分があって、すべての部分が同じ働きをしなように、
12:5 私たちもまた多くいるけれども、キリストを信じる者として一つであり、各々は互いにその部分だからである。』
教会は、キリストの体でもあります。コリント人への手紙において、パウロはこう証ししています。
『確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。
たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。
しかしこのとおり、神はみ心に従って、からだの中にそれぞれの器官を備えて下さったのです。
もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。
しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。
そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。
それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、
かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させて下さったのです。
それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。もし一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。
あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。(第Ⅰコリント12:14~12:27)』と。
私たちは、一人一人違います。しかし、主の御からだである教会の一部分であることは、間違いないのです。そこに置かれていますのは、使命と役割があるからです。》