◎本日の聖書箇所【使徒の働き20章17節~35節】(新約聖書p.277上段右側)
20:17 パウロはミレトスからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼び寄せた。
20:18 彼らが集まって来たとき、パウロはこう語った。「あなたがたは、私がアジアに足を踏み入れた最初の日から、いつもどのようにあなたがたと過ごしてきたか、よくご存じです。
20:19 私は、ユダヤ人の陰謀によってこの身に降りかかる数々の試練の中で、謙遜の限りを尽くし、涙とともに主に仕えてきました。
20:20 益になることは、公衆の前でも家々でも、余すところなくあなたがたに伝え、また教えてきました。
20:21 ユダヤ人にもギリシア人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰を証ししてきたのです。
20:22 ご覧なさい。私は今、御霊に縛られてエルサレムに行きます。そこで私にどんなことが起こるのか、分かりません。
20:23 ただ、聖霊がどの町でも私に証しして言われるのは、鎖と苦しみが私を待っているということです。
20:24 けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。
20:25 今、私には分かっています。御国を宣べ伝えてあなたがたの間を巡回した私の顔を、あなたがたはだれも二度と見ることがないでしょう。
20:26 ですから、今日この日、あなたがたに宣言します。私は、だれの血に対しても責任がありません。
20:27 私は神のご計画のすべてを、余すところなくあなたがたに知らせたからです。
20:28 あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさい。神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、聖霊はあなたがたを群れの監督にお立てになったのです。
20:29 私は知っています。私が去った後、狂暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、容赦なく群れを荒らし回ります。
20:30 また、あなたがた自身の中からも、いろいろと曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こってくるでしょう。
20:31 ですから、私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがた一人ひとりを訓戒し続けてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。
20:32 今私は、あなたがたを神とその恵みのみ言葉にゆだねます。み言葉は、あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々と共に、あなたがたに御国を受け継がせることができるのです。
20:33 私は、人の金銀や衣服を貪ったことはありません。
20:34 あなたがた自身が知っているとおり、私の両手は、自分の必要のためにも、ともにいる人たちのためにも働いてきました。
20:35 このように労苦して、弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみ言葉を、覚えているべきだということを、私はあらゆることを通してあなたがたに示してきたのです。」
20:36 こう言ってから、パウロは皆とともに、ひざまずいて祈った。
20:37 皆は声をあげて泣き、パウロの首を抱いて何度も口づけした。
20:38 「もう二度と私の顔を見ることがないでしょう」と言った彼のことばに、特に心を痛めたのである。それから、彼らはパウロを船まで見送った。
◎メッセージ【与える方が幸い】
《ミレトスとは、エペソの南約60キロにあった港湾都市のことです。そこからパウロは、エペソ教会の長老たちを呼び寄せました。パウロが最初にエペソの足を踏み入れたのは、紀元52年頃のことです。この時、パウロは短期間の滞在でしたが、主の恵みによって救われた人々が、今はエペソ教会の長老になっていたのです。
「ご覧なさい。私は今、御霊に縛られてエルサレムに行きます。聖霊が言われるのは、鎖と苦しみが私を待っているということです。御国を宣べ伝えてあなたがたの間を巡回した私の顔を、あなたがたはだれも二度と見ることがないでしょう。」
この言葉を聞いた時、エペソから来た人々は、みな涙を流しました。しかし、第4回伝道旅行の時には、ミレトスに訪れています。そしてエペソに向かったことは間違いありません。 ローマにて軟禁されていましたが、皇帝の無罪判決によって、自由の身となったのです。その時、再会した彼らの喜びはいかばかりであったことでしょうか。
「ですから、今日この日、あなたがたに宣言します。私は、だれの血に対しても責任がありません。」
この言葉には説明が必要です。これはエゼキエル書に書かれた事がもとになっています。
「人の子よ。私はあなたをイスラエルの家の見張りとした。私が、悪い者に『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、悪い者に悪の道から離れて生きるように警告しないなら、その悪い者は自分の不義のゆえに死ぬ。そして、私は彼の血の責任をあなたに問う。」と。
「あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさい。神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、聖霊はあなたがたを監督にお立てになったのです。」
主イエスが十字架で流された血潮によって、買い戻された人々の集まりである「神の教会」こそが御国の前触れです。そして、聖霊とみ言葉が、私たちを導いて下さるのです。
「私は、人の金銀や衣服を貪ったことはありません。あなたがた自身が知っているとおり、私の両手は、自分の必要のためにも、共にいる人たちのためにも働いてきました。」
エペソにおいて、同労者かつ同業者でもあったアキラとプリスキラと共に、天幕作りを行ないながら、パウロはすべての必要を満たしました。そして、エルサレム教会に届ける献金の中にも、彼自身が働いて得た物もあると信じます。それだからこそ言えるのです。
『受けるよりも与えるほうが幸いである』と。
与えることが先決です。そうすれば与えられるのです。この時、エペソ教会の長老たちは、エルサレム教会への献金を多く携えて来たと思われます。困窮していたエルサレム教会の兄弟姉妹が、どんなに喜んだのか、今でもその姿が浮かび上がって来るではありませんか。私たちは互いに励まし合うことが出来るのです。そして神様もそれを喜んでおられます。》