◇◆◇日々のみ言葉
2022年11月15日(火)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙12章6節~7節】
12:6 私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。
12:7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。再度、現代訳を掲載します。
『12:6 私たちは、与えられた恵みに従って、違った賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰の程度に応じて預言をし、
12:7 奉仕であれば奉仕をし、教える者であれば教え、』
前回は、「預言」と「奉仕」について考えて見ました。今回は「教える」ことについて考えて見ましょう。
この当時、教会においては何を教えていたのでしょうか。まだ新約聖書は編纂されてはいません。ローマ人への手紙が執筆されたのは、紀元56年から紀元57年頃と伝えられています。そして、マルコの福音書はすでに存在していた可能性は高いのですが、マタイの福音書とルカの福音書は、紀元60年代の頃と言われています。
よって、十二使徒たちから口伝された、主イエス様が語られた事と教えられた事を、教えていたに違いありません。
まだ、この頃には、十二使徒のほとんどが存命していたと思われます。実際に、その目で見、その耳で聞いた主の公生涯についての証し、また、主の教えは、どれほどに力強く、教会員の方々に響いたことでしょうか。今で言いますならば、「聖書研究」です。
今の私たちには、完成した「聖書」が与えられています。しかも、印刷技術の発達は、一人一人が自分の聖書を持つことが可能となりました。
それでも、教える人は必要なのです。なぜなら、み言葉は、聖霊様によって書かれた「霊的書物」であるからです。また当時の言い回しなどが用いられており、日本の文化にはあわない土台の上に書かれていることも事実だからです。
「教える」ことは素晴らしいことです。しかし、教える人が、教えた内容に沿って生きていないとしたら、どうなのでしょうか。
それゆえ、パウロは言うのです。
『どうして、人を教えながら、自分自身を教えないのですか。(ローマ2:21抜粋)』と。
この言葉は、まさしく私自身をも厳しく突き刺す言葉なのです。》