◇◆◇日々のみ言葉
2022年12月21日(水)
◎聖書箇所ローマ人への手紙14章7節~9節】
14:7 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。
14:8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
14:9 キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。再度、現代訳を掲載します。
『14:7 というのは、私たちクリスチャンは、だれひとりとして、自分のために生きている者はなく、自分のために死ぬ者もいない。
14:8 もし生きるなら主のために生き、死ぬなら主のために死ぬ。そういうわけで、私たちは生きるにしても死ぬにしても、主のものである。
14:9 というのは、キリストは、死んだ者と生きている者の主となるために、死んで、復活されたからである。』
今日は、特に14章9節について考えて見たいと思います。
『14:9 キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。(新改訳)』
『14:9 というのは、キリストは、死んだ者と生きている者の主となるために、死んで、復活されたからである。(現代訳)』
二つの訳を比較しますと、その違いが良く分かって来ます。新改訳では、少し焦点があっていない感じがします。
まず主語は何でしょうか。確かに、最初の言葉である「キリスト」が主語なのですが、新改訳では、それがぼやけてしまっていて、「死んだ人にとっても、生きている人にとっても」の方が、主語のような気がするのです。しかし、現代訳では、最後まで主語がキリストであることを貫いています。
さて、「生きている人」は分かります。私たちは、知る知らないにせよ、常に誰かを主として従っていて歩んでいます。
しかし「死んだ人」とは何なのでしょうか。つまり明らかに「死後の世界」があると言うことなのです。
しかも、主イエスは、十字架上で死なれ、よみに降られました。そのよみこそが、死んだ人の魂と霊がいる場所なのです。
そして、主は三日目に復活されたのです。文字通り、主イエス・キリストは、すべての人の主になられたのです。明日は先に行きたいと思います。》