• 日々のみ言葉 2015年8月11日(火)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年8月11日(火)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書3章33節~35節】

    3:33 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「わたしの母とは誰のことですか。また、兄弟たちとは誰のことですか。」
    3:34 そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。
    3:35 神のみこころを行なう人は誰でも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」

    ◎ショートメッセージ

    《この箇所からだけ見れば、主イエスはご自分の家族に対して、何と冷たいお方なのであろうか、と思ってしまうかも知れない。しかし主イエスは、ただ一人、律法を守られた、まことの人なのである。律法を成就された、ただ一人の人なのだ。

     主イエスは、まことの神であられた。しかし同時に、まことの人でもあった。それゆえ、罪を犯す可能性も十分にあった。それだからこそ、悪魔が荒野において、四十日四十夜、誘惑の限りを尽くしたのである。主イエスが、誘惑に負ける可能性がなければ、悪魔は無駄な時間と労力を、わざわざ費やすことなど、するわけもないのだ。

     律法の原点は、『十戒』である。第五戒に、『あなたの父と母を敬え』とある。もちろん主イエスは、そのことを完璧に実行された。ご自分の家族を大切にされたのだ。

     主イエスは、母マリヤを「女の方」と、まるで他人のように呼ばれたことを、ヨハネは書き記しているが、実はこれは、心からの尊敬を込めた女性に対する「敬語」なのである。この言葉は、少し違う意味に解釈されたり、誤解を招きやすいが、むしろ昔の言葉で、「母上様」と訳すほうが、良いかも知れない。ちなみに、尾山令仁訳「現代訳聖書(羊群社)」では、「お母様(おかあさま)」と訳している。名訳であると言える。

     さて、主イエスは、ご自分を迎えに、わざわざナザレから家族が来ていたことを、もちろん知っていた。そしてご自分を呼んでいることも知っていた。それにも関わらず、主は、ご自分の回りに座っている人たちを見回して言われたのだ。

    「ご覧なさい。私の母、私の兄弟たちです。神のみこころを行なう人は誰でも、私の兄弟、姉妹、また母なのです。」

     この世における家族関係は、もちろん大切であるし、大切にしなければならない。しかし夫婦関係、そして親子関係は、厳密に言うならば、この世においてだけの関係であり、御国における神の家族の関係は、永遠に続くものなのである。

     つまり、ここで主イエスが言われていることは、真に霊的なことがらであり、当時の人々も、また今、この世で生かされている私たちにも、このみ言葉は、たやすく理解できるものではない。霊的なことがらは、霊を持って、つまり聖霊様の力を借りなければ、誤解が生じやすく、真の意味を掴むことは難しいからである。

     御国において、一番大切な関係は、十字架の立ての杭の関係。つまり主イエス様と一人一人との関係である。そしてその次に、十字架の横の杭の関係。つまり主イエス様を信じ、救われ、御国に引き上げられた「神の家族」との関係とで、成り立つものなのである。そして、その関係が永遠に続くのである。

     そうだとしたら、この世における家族の関係を、天の御国においても同じように「神の家族」の関係でありたい、と願うのが、先に救われた者の心からの叫びではないだろうか。
     この時にも、主イエスの叫びが聞こえてきそうである。なぜならこの時点では、主の母マリヤも、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの弟たちも妹たちも、主イエスを信じていない、いや信じてくれないからである。それゆえ主は言われるのだ。

    『「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」(マルコの福音書6:4)』

     私たちの家族が、天の御国においても、神の家族であることを願い、救いに導かれるよう、忍耐を持って祈り求め続けようではないか。》

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