• 日々のみ言葉 2015年8月12日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年8月12日(水)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書4章1節】

    4:1 イエスはまた湖のほとりで教え始められた。おびただしい数の群衆がみもとに集まった。それでイエスは湖の上の舟に乗り、そこに腰をおろされ、群衆はみな岸べの陸地にいた。

    ◎ショートメッセージ

    《主イエスは、このことを見越していたのであろうか。おびただしい数の群衆とは、一体どれほどの人数であろうか。主イエスを慕う群衆に対し、主は二回ほど、給食を与えるという大きな奇跡を行なわれた。すなわち五千人の給食と、四千人の給食の奇跡である。
    『夕方になったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここは寂しい所ですし、時刻ももう回っています。ですから群衆を解散させてください。そして村に行ってめいめいで食物を買うようにさせてください。」
     しかし、イエスは言われた。「彼らが出かけて行く必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」
     しかし、弟子たちはイエスに言った。「ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません。」
     すると、イエスは言われた。「それを、ここに持って来なさい。」そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。
     人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいあった。食べた者は、女と子どもを除いて、男五千人ほどであった。(マタイの福音書14:15~14:21)』

     この奇跡は、マタイ・マルコ・ルカの3つの共観福音書に記載されているだけでなく、何と、ヨハネもこの五千人の給食の奇跡を書き記しているのである。ということは、この奇跡が、非常に重要な真理を表わしていると言える。3つの共観福音書すべてに記載されたことは、それだけでも非常に大切なことなのに、すべての福音書に記載された奇跡は、この「五千人の給食」だけである。そのことについては、後ほど学んで見たい。

     さて、『食べた者は、女と子どもを除いて、男五千人ほどであった。』ということは、その群衆の中に、女も子どもいたということである。おそらく家族で行動しているから、男五千人であったとしたら、ユダヤは子だくさんなので、少なく見積もっても、二万人以上の人々が、主イエスの給食の奇跡にあずかったこととなる。

     それでは、本題に戻ろう。「おびただしい数の群衆」は、この時点においても、一・二万人ぐらいは集まっていたのではないだろうか。その大勢の人々が、主イエスの教えを聞きに来たのである。

     主イエスは、どのようなお声の持ち主であっただろうか。当時は、マイクなどの音響設備などは、もちろんあるはずもなく、純粋に自分の声帯だけを使って、人々に聞いてもらわなければならない。

     そのためには、場所の選択は、必要不可欠であったろう。主はガリラヤ湖を選ばれた。ガリラヤ湖は、すり鉢状になっており、天然のコンサート劇場でもあった。主は、ガリラヤ湖に船を浮かべられた。おそらくシモン・ペテロの持ち船であった可能性が高い。その船から、岸辺の斜面に下から上にまで、びっしりと座っている人々に、福音を、良き知らせを伝えたのである。
     しかし、いくらホーンみたいな、音響効果のあるガリラヤ湖であっても、主ご自身の声に力がなければ、一番後方にいる人々には、届くはずがないのである。
     この時には、すでに主イエスには、聖霊の油注ぎが豊かに与えられており、もしかしたら、主イエスのお声は、雷のごとく、大声であったかも知れない。あるいは、遠くまで届くような声質の持ち主であったかも知れない。
     このことを、主は、公生涯にはいるにあたり、見越していたのではないだろうか。それゆえ、最初の弟子たちを、ガリラヤ湖の漁師たちから選ばれたのではないだろうか。
     
     神の選びの法則は、私たちには分からない。しかし神は、私たちの賜物を豊かに用いてくださり、そしてその賜物を通して、ご自身の栄光を現わしてくださる。この神に栄光あれ!》

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