◇◆◇日々のみ言葉
2023年2月17日(金)
◎聖書箇所【マルコの福音書1章2節~4節】
1:2 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ。私は使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。
1:3 荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」そのとおりに、
1:4 バプテスマのヨハネが荒野に現われて、罪が赦されるための悔い改めのバプテスマを説いた。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。再度、現代訳を掲載します。
『1:2 神は、預言者マラキやイザヤの預言にこう記しておられる。
「さあ、私は使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。
1:3 荒野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。』」
そのとおりに、
1:4 バプテスマのヨハネが荒野に現われて、罪が赦されるためには悔い改めなければならないと宣べ伝えていた。そして、悔い改めた者には、その印として、バプテスマを授けていた。』
今日は、マルコが引用した聖書箇所から考えて見たいと思います。マルコは、イザヤと言っていますが、本当は、マラキ書とイザヤ書からの引用です。
マラキ書では、
『「見よ。私は、私の使者を遣わす。彼は私の前に道を整える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、来ている。」と万軍の主は仰せられる。(マラキ3:1)』と記されており、
そして、イザヤ書には、
『荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。」(イザヤ40:3)』と記されています。
当時の風習では、二つの預言書から引用する場合には、大預言者の名前だけを提示していましたから、マルコが間違っていたのではありません。
さて、預言では「エリヤ」が来ることになっています。しかし厳密に言いますと、エリヤではなく、バプテスマのヨハネが公に現われたのです。
エリヤは、弟子エリシャの目の前で、生きたまま天に引き上げられました。よって未だに、まだ天にいます。
また、バプテスマのヨハネはエリヤの生まれ変わりではありません。人格が異なるからです。近い将来、エリヤは、大患難時代にエノクと共に、エルサレムに現われます。
しかし、その時には、私たち聖徒はすでに携挙されていますから、そのことを耳にし、また目で見ることはないと思われます。》