◇◆◇日々のみ言葉
2023年3月24日(金)
◎聖書箇所【マルコの福音書1章40節~42節】
1:40 さて、ひとりのらい病人が、イエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私はきよくしていただけます。」
1:41 イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「私の心だ。きよくなれ。」
1:42 すると、すぐに、そのらい病が消えて、その人はきよくなった。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『1:40 さて、重い皮膚病にかかっている一人の人が、イエスの所に来て、ひざまずいて言った。「主イエス様。あなたは、御心一つで人を治すことがお出来になるお方です。どうぞ、御心でしたら、私を治してください。」
1:41 イエスは深くあわれんで、御手を伸ばし、彼に触って言われた。「そうしてあげよう。治りなさい。」
1:42 すると、すぐに、重い皮膚病の人は治った。』
新改訳旧訳は、「らい病人」と訳しています。ギリシャ原語は「レプロス」あるいは「レプラ」です。これは、医学用語にもなっていて、らい病、すなわちハンセン氏病のことです。
近年、「らい病」と言う言葉が差別用語と認定されました。よって、現代訳では、あえて「重い皮膚病」と訳しています。
また、新改訳聖書第三版、そして2017年版では、ヘブル原語の「ツァラアト」と言う言葉にしています。しかし、これはおかしな訳です。日本語に訳せないからと言って、そのままヘブル語で表記するとは。
ちなみに口語訳聖書では、その言葉を置き換えて、現代訳と同じく「重い皮膚病」にしています。新改訳聖書も、「ツァラアト」ではなく、「重い皮膚病」に訂正した方が、統一性があって、とても良いかと思うのですが、いかがでしょうか。
ただ、聖書の意味する所は、ハンセン氏病であることは、間違いのないことです。現在では、特効薬プロミンの発見により、完治する病気となっています。
私は、この箇所を読むたびに、なぜか日本映画「砂の器」を思い出します。私たちの人生の土台は、かつては砂であったのですが、今は「捨てられた石」、すなわち主イエス様を信じ従う信仰であることは、何と素晴らしい恵みなのでしょうか。この土台は決して崩れることはないのです。
明日も同じ箇所からとなります。》