• 日々のみ言葉 2015年8月22日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年8月22日(土)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書4章21節】

    4:21 また言われた。「あかりを持って来るのは枡の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。」

    ◎ショートメッセージ

    《主イエスこそ、この世の光であられる。

    『イエスはまた彼らに語って言われた。「私は、世の光です。私に従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネの福音書8:12)』

     また主イエスは、弟子たちにこのように言われた。

    『あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。
    このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイの福音書5:14~5:16)』

     使徒ヨハネはこう書き記している。

    『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。』(ヨハネの福音書1:1~1:5)

     どんなに闇が深くても、そこに光がともされたのなら、多くの人々の目に、その光は届くこととなる。主イエスこそ、まことの光、世の光であられる。

     父なる神は、その光を、輝かすべく、十字架という燭台の上に、高く掲げられた。よって本来は、罪人の処刑としてのシンボルが、この世において、燦然と光り輝いているのである。

     私たちクリスチャンは、自分で輝くことはできない。しかし太陽の光を反射して、夜空に輝く満月のように、主イエスの光を、反射して輝くことはできる。主の光を、人々に届けることができるのである。

     主イエスは、私たちという「あかり」を、この世という真っ暗闇の中に置かれた。それは、火を消すための枡の下や、寝台の下つまりベッドの下に置くのではなく、一人一人、それぞれが置かれている場所、遣わされている場所において、世の光として、誰の目にも見えるようにと、主ご自身が高い位置に置かれたのである。

     私たちは、そのことを、本当に理解しているであろうか。自分が、どのような存在であることを、本当に知っているであろうか。
     主イエスに対する信仰こそが、この世における勝利の御旗である。》

Comments are closed.