◇◆◇日々のみ言葉
2015年8月24日(月)
◎聖書箇所 【マルコの福音書4章24節】
4:24 また彼らに言われた。「聞いていることによく注意しなさい。あなたがたは、人に量ってあげるその量りで、自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。」
◎ショートメッセージ
《主イエスは、引き続き弟子たちに教えられた。
「聞いていることによく注意しなさい。」
「聞いていること」とは、主イエスが教えられたことである。主は、大切な真理と奥義を「たとえ話」を通して、弟子たちに解き明かされた。その教えたこと、解き明かししたことに、よく注意せよ、ということである。「注意」とは、「意識」を「注ぐ」ことである。
広辞苑では、「気をつけること」「気をくばること」「留意」すること、と説明している。特に、主イエスの語られた言葉に、留意することが、一番、主イエスが言われた意味を表わしていると言える。
主イエスは、十字架に架けられる数時間前に、「ぶどうの木のたとえ」話をされ、弟子たちに教えられた。
『私はまことのぶどうの木であり、私の父は農夫です。私の枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。
あなたがたは、私があなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。私にとどまりなさい。私も、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、私にとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
私はぶどうの木で、あなたがたは枝です。人が私にとどまり、私もその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。私を離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
だれでも、もし私にとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。
あなたがたが私にとどまり、私のことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。(ヨハネの福音書15:1~15:7)』
「私のことばがあなたがたにとどまるなら」、これこそが主イエスが言われる、「よく注意する」ことである。つまり、みことばに、主イエスのことばに留意することである。
そして、次に「量り」のたとえを話された。
「あなたがたは、人に量ってあげるその量りで、自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。」
もし私たちが、ある人を大切に思うなら、その人も私たちを大切に思ってくれる。また、もし私たちが、ある人を裁くのなら、その人も私たちを、同じように裁くことになる。まさに「山上の垂訓」での教えである。
しかし、ここで主イエスが言われておられることは、文面から言って少し違うのである。
尾山令仁師は、現代訳において、このように訳された。
「あなたがたが、自分の小さな量で私の言うことをはかり、受け入れるなら、わずかな物しか与えられませんが、大きな量で受け入れるなら、大きな物が与えられます。」
「量り」とは、主イエスに対する「信仰」とも置き換えることができる。あるいは「信頼」とも。
主イエスに対して、大きな「信仰」「信頼」を持って臨めば、大きな祝福をいただくことができるが、小さな「信仰」「信頼」しか持たなければ、わずかな祝福しかいただくことができない、ということである。
私たちは、どれくらい主イエスに信頼し、また期待しているだろうか。今一度、我が身を振り返って見たいものである。》