• 日々のみ言葉 2015年8月29日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年8月29日(土)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書4章35節】

    4:35 さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう。」と言われた。

    ◎ショートメッセージ

    《この記事は、マタイ・マルコ・ルカによる共観福音書に掲載されている。よって、この記事は、とても重要な出来事であり、そして大切な教えであることが分かる。

     また、ある意味では、主イエスによる弟子たちへの実地訓練とも取れる。ともかく、その日の夕方に、もう太陽が沈もうとしている時に、主はカペナウムにあるシモン・ペテロの家に戻ろうとはせず、「向こう岸へ渡ろう。」と言われたのである。
     
     弟子たちにして見れば、大勢の群衆の世話にて疲れ果てていたはずである。それにも関わらず、「向こう岸に渡ろう。」と、主イエスが言われたのである。
     主が言われた以上、弟子たちは従うほかはない。しかもシモン・ペテロの船に、ちょうど十二弟子たちも、主イエスも乗船していると、言った具合である。このまま、この船に乗って、向こう岸へ渡れば、大勢の群衆も、解散するしかないに違いない。まさに、一石二鳥である。弟子たちは、向こう岸へ行く準備をした。
     これから何が起こるのか、弟子たちは誰も何も知らない。知るはずもない。知っているのは、父なる神と、主イエスであり、そしてすでに結末を知っている私たちだけである。
     もしかしたら、弟子たちは、向こう岸に渡りたくなかったのかも知れない。その時の空模様は、もうすでに何か悪い予感を思わさせるような、前兆をきしていたかも知れない。
     ともかく、船は沖にこぎ出したのである。 他の船もイエスについて行ったのである。

     「さあ。向こう岸へ渡ろう。」

     主イエスは、時々このように語りかけることがある。住み慣れた、あるいは居心地の良い「こちら岸」から、何があるのか、あるいは今よりも悪い状況になるのか、先が見ることのできない「向こう岸」へ渡ろうと。

     そんな時私たちは、あるいは弟子たちは、何に信頼して、船を沖に出し、こぎ出そうとしたら良いのだろうか。

     主イエスの語られた言葉と、聖書に約束されたみ言葉である。それに「信仰」をかけるのである。

     その日の夕方とは、ユダヤでは一日の終わりであり、一日の始めでもある。新しい一日には、何が待っているのか。何が起こるのか。私たちには、明日という日は分からない。ただ一つ言えることは、主が約束されたことを、信ずることにある。

    『イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「私には天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
     また、私があなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。私は、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書28:18~28:20)』

     主イエスが言われたこのみ言葉を、私たちは本当に信じているであろうか。主イエスには、天においても、そしてこの地、すなわち地球においても、いっさいの権威が与えられていることを。

     向こう岸へ渡ろうではないか。そこには、日本の大リバイバルがある。》

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