◇◆◇日々のみ言葉
2023年10月7日(土)
◎聖書箇所【マルコの福音書10章17節】
10:17 イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄って、御前にひざまずいて、尋ねた。「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『10:17 イエスが道に出て行かれると、一人の人がイエスのみもとに走り寄り、御前にひざまずいて、尋ねた。「善い先生。救われるためには、どんなことをしたらよいでしょうか。』
この記事は、三つの共観福音書に掲載されています。今回は、マタイの福音書の平行同一記事を掲載します。
『すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。
「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」
イエスは彼に言われた。
「なぜ、良いことについて、私に尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」
彼は「どの戒めですか。」と言った。そこで、イエスは言われた。
「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」
この青年はイエスに言った。
「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」
イエスは、彼に言われた。
「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、私について来なさい。」
ところが、青年はこの言葉を聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。(マタイ19:16~19:22)』
マタイによりますと、主イエスの所に走り寄って来た人は、「青年」であることが分かります。
「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」
現代訳では、「善い先生」と訳されています。また、「永遠のいのち」に対しては、「救われる」事に置き換えています。彼に取っては、主イエス様は、「善い先生」もしくは「尊い先生」に過ぎなかったのです。彼は、自分の目の前におられるお方が、救い主とは夢にも思わなかったのです。》