◇◆◇日々のみ言葉
2023年10月26日(木)
◎聖書箇所【マルコの福音書10章46節~47節】
10:46 彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群衆と一緒にエリコを出られると、テマイの子のバルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。
10:47 ところが、ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子のイエス様。私をあわれんで下さい。」と叫び始めた。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。再度ですが、現代訳を掲載いたします。
『10:46 それから、彼らはエリコに来た。イエスが弟子たちや多くの群衆と一緒にエリコを出て行かれると、テマイの子バルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。
10:47 ところが、ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子孫としてお生まれになった救い主イエス様。私をあわれんで下さい。』
マルコだけが、この盲人の乞食が、「テマイの子バルテマイ」であることを書き記しています。最も、彼の名前が分かったのは、彼が癒されて、主イエスの一行について来て、弟子の一人に加えられた後のことであると思われます。私は、「使徒の働き」のヨハネ・マルコの家において、祈っていて120名の中に、バルテマイがいたことを信じています。
さて、なぜ目が見えないのに、バルテマイは、主イエス様が通り過ぎようとされた時に分かったのでしょうか。
それは、群衆が「ナザレのイエス」であることを叫んでいたからです。しかし、バルテマイは、「ナザレのイエス」とは叫ばずに、なぜ、
「ダビデの子のイエスさま。」(新改訳)
「ダビデの子孫としてお生まれになった救い主イエス様。」(現代訳)
と、叫んだのでしょうか。それは、盲人の乞食仲間から、主のうわさを聞いていたからだと思われます。
彼の仕事はただ一つでした。それは、「私をあわれんで下さい」と、人々からの施しを受けることです。
彼は、できる限りの持てる声で、叫んだのです。しかも何度も。これが「祈り」です。》