◇◆◇日々のみ言葉
2024年1月4日(木)
◎聖書箇所【マルコの福音書14章10節~11節】
14:10 ところで、イスカリオテ・ユダは、十二弟子のひとりであるが、イエスを売ろうとして祭司長たちのところへ出向いて行った。
14:11 彼らはこれを聞いて喜んで、金をやろうと約束した。そこでユダは、どうしたら、うまいぐあいにイエスを引き渡せるかと、ねらっていた。
◎ショートメッセージ
《再び、マルコの福音書に戻ります。現代訳を掲示します。
『14:10 時に十二使徒の一人で、イスカリオテのユダという者が、イエスを売ろうとして、祭司長たちの所へ行った。
14:11 彼らはこれを聞き、喜んで金をやろうと約束した。そこで、ユダはイエスを引き渡すのに良い機会をねらっていた。』
ここから、イスカリオテのユダが何時、主を裏切ったのかが、同定出来るかと思われます。ベタニアのマリアの「ナルドの香油」事件の直後であったことが分かります。
すなわち、金曜日の前の木曜日の夕方、もしくは金曜日の午前中と考えられるのです。
金曜日には、最後の晩餐が行なわれます。その晩餐の途中で、イスカリオテのユダは退席します。そして、主イエスが定められた聖餐式が終わり、エルサレム市内から出て行き、ゲッセマネの園に向かって行くことになります。
ところで、なぜ、イスカリオテのユダは裏切ったのでしょうか。そのことさえも、神様の摂理なのでしょうか。あらかじめ、神様はイスカリオテのユダが裏切るように、仕向けたのでしょうか。
いいえ。そうではないのです。主イエスは、最後まで、ユダをあきらめてはいませんでした。ユダに何度も「悔い改め」の機会をお与えになられたのです。
そして最後に、ゲッセマネの園において、「友よ。なんのために来たのですか。」と聞かれたのです。しかし、ユダは、差し伸べられた救いの手を、赦しの手を掴んだのです。
人は、自分の選択で、福音を拒みます。なぜなら神様は、人間に自由意志を与えられたからです。
イスカリオテのユダは、主の十字架が掲げられたゴルゴタの丘に戻るべきだったのです。主の御前にひれ伏し、罪を告白し赦しを請うべきだったのです。》