• 2024年1月7日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【マタイの福音書6章31節~34節】(新約聖書p.11上段左側)
    6:31「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
    6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
    6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
    6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」

    ◎メッセージ【2024年標題聖句から(神の国とその義)】
    《明けましておめでとうございます。2024年を迎えました。新年最初の礼拝は、教会の1年間における「標題聖句」からのメッセージとなります。マタイの福音書6章33節です。
    「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」
     今回は「神の国」について考えて見ましょう。国と言う定義には、なくてはならないものが最低二つあります。一つはその国を構成する民です。そして、もう一つは王がいることです。
     神の国の王とは、主イエス様のことです。主は、十字架に掛けられる5日前の「シュロの日曜日」に、イスラエルの王として、ダビデの子として、ろばの子に乗って入場されました。
     近い将来、主イエスが再臨された時、ご自身に敵対する者たちをすべて滅ぼし、エルサレムを中心として「千年王国」を建設され世界を、統治なされます。人類は始めて、この地上において、争いのない平安に満ちた時を過ごすのです。
     次ぎに、神の国の民とは、主イエス様の十字架によって罪赦され、主を心の王座にお迎えし、み言葉に従う主の弟子を指しています。
     主の弟子とは、主イエス様を愛し、主が与えられた戒めに従う者たちのことなのです。かつて、主は最後の晩餐の時に、新しい戒めを弟子たちに与えられました。
    「私はあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたが私の弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」』と。
     神の国の民とは、主イエス様の愛に満たされた者たちなのです。神様を愛し、自分を愛し、そして他人を愛する者こそが、神の国の民なのです。
     さて、この「神の国」は、今この時点においては、まだ到来していないのでしょうか。かつて、主はパリサイ人たちに、「見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」と言われました。そうであるならば、私たちはすでに「神の国」を持っていることになります。
     それが「教会」なのです。「二人か三人が私の名において集まっている所には、私もその中にいるのです。」』と、主は約束されました。
     また、使徒パウロは、『神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。』と奥義を明らかにしています。
     教会は建物ではありません。主イエスを信じ、み言葉に聞き従う者たちが、集まる所が教会なのです。主の御名において、一箇所に集うことに意味があるのです。
     以前は、新型コロナ・ウィルスによって、集まることが難しくありました。しかし今は、集まることが出来るのです。もちろん、感染予防をしっかりと対策する必要は十分必要です。
     さて、教会は神の国のひな型ですが、やがて取り去られる時が来ます。花婿である主イエスが、花嫁である教会を迎えに来られます。それが携挙のことで、空中再臨とも言います。
     もう何時、携挙が訪れてもおかしくないように、世界はひっぱくしています。世界中の目は、ウクライナとロシアに注がれていましたが、昨年10月から、イスラエルとガザ地区にも目を向けなければならなくなりました。再び中等問題が表沙汰になって来ています。
     まさしく携挙が近づいて来ています。日本に残された時間は、かなり僅かな気がいたします。日本に大きなリバイバルが、今年こそ訪れて欲しいと強く願います。》

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