◇◆◇日々のみ言葉
2024年1月10日(水)
◎聖書箇所【マルコの福音書14章18節~20節】
14:18 そして、みなが席に着いて、食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりで、私と一緒に食事をしている者が、私を裏切ります。」
14:19 弟子たちは悲しくなって、「まさか私ではないでしょう。」とかわるがわるイエスに言いだした。
14:20 イエスは言われた。「この十二人の中のひとりで、私と一緒に、同じ鉢にパンを浸している者です。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。マタイの福音書における平行同一記事を掲載します。
『26:20 さて、夕方になって、イエスは十二弟子と一緒に食卓に着かれた。
26:21 みなが食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、私を裏切ります。」
26:22 すると、弟子たちは非常に悲しんで、「主よ。まさか私のことではないでしょう。」とかわるがわるイエスに言った。
26:23 イエスは答えて言われた。「私と一緒に鉢に手を浸した者が私を裏切るのです。
26:24 確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」
26:25 すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。「先生。まさか私のことではないでしょう。」イエスは彼に、「いや、そうだ。」と言われた。』
となっています。
弟子たちは、かわるがわる「主よ。まさか私のことではないでしょう。」とイエスに言います。そして最後にイスカリオテのユダが、主イエスに尋ねます。
「先生。まさか私のことではないでしょう。」
「いや、そうだ。」
実は、「いや、そうだ」とは、誤訳であって、原語の本来の意味は、「あなたは、そう言っているでしょう。」と言う意味になります。尾山令仁師は、新改訳聖書の誤訳について、何度も出版社に注意したそうですが、ついに訂正されなかったそうです。
「いや、そうだ」と主が言われたとしたら、そこには、悔い改めの機会ではなく、明らかに、罪を断定していることになります。
何度も言いますが、まだ主はイスカリオテのユダを愛しており、彼に悔い改めるよう迫っているのです。
主は、真に「愛の人」であられたのです。》