◇◆◇日々のみ言葉
2024年1月18日(木)
◎聖書箇所【マルコの福音書14章27節~28節】
14:27 イエスは、弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。『私が羊飼いを打つ。すると、羊は散り散りになる。』と書いてありますから。
14:28 しかし私は、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。再度ですが、現代訳を掲載します。
『14:27 その時、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは皆、私につまずきます。旧約聖書のゼカリヤの預言に、『私が羊飼いを打つ。すると羊は散り散りになる。』と記されている通りです。
14:28 しかし、その預言に引き続いて語られている通り、私は、復活してから、あなたがたよりも先に、ガリラヤへ行きます。そこで、つまずいた者たちを、もう一度、立ち直らせます。』
この言葉を主イエス様が語られた時は、最後の晩餐の食事を終えた時であると思います。その時、イスカリオテのユダは、すでに夜の闇の中に出て行きました。
主は言われました。
「あなたがたはみな、つまずきます。『私が羊飼いを打つ。すると、羊は散り散りになる。』と書いてありますから。」
「あなたがた」とは、十二使徒全員を指しています。すでにイスカリオテのユダは主につまずいており、主を裏切っていました。
そして彼だけではなく、残りの十一使徒たちも、皆がつまずくと言うことなのです。
彼らのほとんどの者が、主イエス様の約三年半にもおよぶ、メシアとしての公生涯を主と共に過ごして来たのです。彼らは、主と共に寝起きし、主と共に食事をしました。
しかもその間に、メシアとしての奇跡やしるしを目の当たりに見て来たのです。そればかりではありません。彼らは、身を持って、奇跡をも体験したのです。
それにも関わらず、彼らは主イエス様につまずくのです。
ところで、「つまずく」とは、どのようなことなのでしょうか。それは、一言で言えば、「主を疑う」ということなのです。
そして、そのことは、十二使徒たちだけでなく、今現在の私たちにも当てはまることなのです。
私たちは、常識を持っており、またその中に生きています。しかし、尾山令仁先生は、生前に良く言われました。クリスチャンは、超常識の中に生かされていると。
私たちが、神のこどもとならせていただいたのは、主イエスの贖いの身代わりの十字架の御わざを信じたからではありませんか。
私たちは、主イエス様に対する「信仰」によって、神の子どもとされたのです。主イエス様に対する「信仰」こそが、私たちの「命」なのです。》