◇◆◇日々のみ言葉
2024年1月21日(日)
◎聖書箇所【マルコの福音書14章32節~34節】
14:32 ゲツセマネという所に来て、イエスは弟子たちに言われた。「私が祈る間、ここにすわっていなさい。」
14:33 そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れて行かれた。イエスは深く恐れもだえ始められた。
14:34 そして彼らに言われた。「私は悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。再度となりますが、現代訳を掲載します。
『14:32 それから、ゲツセマネという所に来て、イエスは弟子たちに言われた。「私が向こうへ行って祈っている間、あなたがたはここですわっていなさい。」
14:33 イエスは、ペテロとヤコブとヨハネの三人だけを一緒に連れて行かれ、悲しみ、もだえ始められた。
14:34 その時、イエスは彼らに言われた。「私は悲しみのあまり死にそうだ。ここにいて、目を覚まして祈ってほしい。」』
主イエス様と弟子たちの一行が、ゲッセマネの園を訪れたのは、何時頃のことなのでしょうか。正確な時刻は、ほとんど分かりませんが、午後10時を廻っていたのではないでしょうか。とするならば、やはり最後の晩餐を行なわれたヨハネ・マルコの家を出たのは、午後9時過ぎであったと考えらます。
最後の晩餐の美味しい食事と、ぶどう酒をたくさん飲んだ彼らは、もう眠くて仕方がない状況に陥っていたのでしょう。
主は、ペテロとヤコブとヨハネだけを連れ出します。
「私が祈る間、ここにすわっていなさい。」と言われました。
「私は悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」
(新改訳)
「私は悲しみのあまり死にそうだ。ここにいて、目を覚まして祈ってほしい。」』
(現代訳)
主が、弟子たちの前で、このようなことを言われたのは、公生涯の中において初めてではなかったのではないでしょうか。
また主が、このような弱音をはかれたことも、今までなかったのではないでしょうか。
ここから分かることは、確かに主は、神の御子であられ、創造主なる真の神様ですが、私たちと同じように、真の人となられたのです。
そして、この時には、なんと主は、愛する三人の側近の弟子たちの「取りなしの祈り」を必要とされ、また願っておられるのです。
このことは、主の為に私たちが出来ること、あるいはすべきことがあることを、教えているのではないでしょうか。》