◇◆◇日々のみ言葉
2024年2月1日(木)
◎聖書箇所【マルコの福音書14章48節~50節】
14:48 イエスは彼らに向かって言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って私を捕えに来たのですか。
14:49 私は毎日、宮であなたがたと一緒にいて、教えていたのに、あなたがたは、私を捕えなかったのです。しかし、こうなったのは聖書の言葉が実現するためです。」
14:50 すると、みながイエスを見捨てて、逃げてしまった。
◎ショートメッセージ
《ヨハネの福音書の平行同一記事によりますと、
『そこで、ユダは一隊の兵士と、祭司長、パリサイ人たちから送られた役人たちを引き連れて、ともしびとたいまつと武器を持って、そこに来た。
イエスは自分の身に起ころうとするすべてのことを知っておられたので、出て来て、「だれを捜すのか。」と彼らに言われた。
彼らは、
「ナザレ人イエスを。」と答えた。イエスは彼らに
「それは私です。」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒に立っていた。イエスが彼らに、
「それは私です。」と言われたとき、彼らはあとずさりし、そして地に倒れた。
そこで、イエスがもう一度、
「だれを捜すのか。」と問われると、彼らは
「ナザレ人イエスを。」と言った。イエスは答えられた。
「それは私だと、あなたがたに言ったでしょう。もし私を捜しているのなら、この人たちはこのままで去らせなさい。」
それは、「あなたが私に下さった者のうち、ただのひとりをも失いませんでした。」とイエスが言われた言葉が実現するためであった。(ヨハネ18:3~18:9)』と、イスカリオテのユダが、「先生」と言って近づいて来て、主の頬に口づけする前の出来事が詳細にわたって書き記されています。
ここで、主が「ナザレ人イエス」と呼ばれる決定的な預言の成就となっています。
マタイによりますと、
『そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる」と言われた事が成就するためであった。(マタイ2:23)』となっています。
最初に主が「それは私です」と言われた言葉は、「エゴー・エイミ」であって、モーセに語られた神様の御名と同じです。だからこそ、千人近い群衆が、全員倒されたのです。この時、主はご自身こそが神様であることを、しるしを持って証明されたのです。
二回目に「それは私です」と言われた時、同じく「エゴー・エイミ」ですが、これは真の人として、つまり人間として答えられたのです。それゆえ、群衆は倒されませんでした。
このことを通して、主は真の神様であると同時に、私たちと同じく真の人であられたことを示されました。明日も同じ箇所からとなります。》