◇◆◇日々のみ言葉
2024年3月4日(月)
◎聖書箇所【マルコの福音書15章17節~19節】
15:17 そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、
15:18 それから、「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」と叫んであいさつをし始めた。
15:19 また、葦の棒でイエスの頭をたたいたり、つばきをかけたり、ひざまずいて拝んだりしていた。
◎ショートメッセージ
《ここに書かれたのは、アントニア要塞において、ローマ兵たちが、主イエスに対して行なった非礼の数々のことです。昨日は、「紫の衣」と「いばらの冠」について考えて見ました。
今日は、「頭をたたいたり」、「つばきをかけたり」、「ひざまずいて拝んだり」したことについて考えて見たいと思います。
「葦の棒」とは、イスラエルには、いろいろな葦が生えていたようです。柔らかいものから、舟を造ることが出来るほどの丈夫な物まであったと伝えられています。ローマ兵が用いた「葦の棒」は、かなり丈夫で固いものではないでしょうか。
「つばきをかけたり」、この時までに主イエスは、最高議会の議員たちから、そして今度はローマ兵たちから、つばきを吐きかけられます。これほどの侮辱はありません。主は、誰がご自身につばを吐きかけたのかを、すべて知っておられます。
これは、この時のローマ兵たちだけではなく、かつての私たちも、主につばを吐きかけた者でした。しかし今は、恵みよって救い出され、「神の子ども」とされています。
「ひざまずいて拝む」、心から主を怖れ、主の御前にひざまずいて礼拝することこそ、私たちクリスチャンの成すべきことです。しかし、ローマ兵たちは、あざ笑ってそうしたのです。
使徒パウロは預言します。
『キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。
それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。
次のように書かれているからです。「主は言われる。私は生きている。すべてのひざは、私の前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」(ローマ14:9~14:11)』と。
このローマ兵たちも、恵みと哀れみによって救い出されていないとしたら、やがて裁き主でもある主の御前に、ひざまずく時が必ずやって来るのです。》