• 2024年3月24日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【マタイの福音書21章1節~11節】(新約聖書p.42上段左側)
    21:1 さて、一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来たそのとき、イエスはこう言って、二人の弟子を遣わされた。
    21:2 「向こうの村へ行きなさい。そうすればすぐに、ろばがつながれていて、一緒に子ろばがいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、私のところに連れて来なさい。
    21:3 もしだれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐに渡してくれます。」
    21:4 このことが起こったのは、預言者を通して語られたことが成就するためであった。
    21:5 「娘シオンに言え。『見よ、あなたの王があなたのところに来る。柔和な方で、ろばに乗って。荷ろばの子である、子ろばに乗って。』」
    21:6 そこで弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、
    21:7 ろばと子ろばを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。そこでイエスはその上に座られた。
    21:8 すると非常に多くの群衆が、自分たちの上着を道に敷いた。また、木の枝を切って道に敷く者たちもいた。
    21:9 群衆は、イエスの前を行く者たちも後に続く者たちも、こう言って叫んだ。「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。」
    21:10 こうしてイエスがエルサレムに入られると、都中が大騒ぎになり、「この人はだれなのか」と言った。
    21:11 群衆は「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言っていた。
    27:22 ピラトは彼らに言った。「では、キリストと呼ばれているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはみな言った。「十字架につけろ。」
    27:23 ピラトは言った。「あの人がどんな悪いことをしたのか。」しかし、彼らはますます激しく叫び続けた。「十字架につけろ。」

    ◎メッセージ【シュロの日曜日と十字架】
    《ヨハネによりますと、主イエスと弟子たちの一行は、「過越の祭の六日前」に、ベテニアにやって来ました。ベタニヤとは、「悩みの家」という意味で、エルサレムの南東約3キロ、オリーブ山の東側にあった村のことです。
    さて、翌日主イエスは、マルタの家から弟子たちと共に、エルサレムに向かわれました。オリーブ山のふもとのベテパゲまで来た時、主は二人の弟子たちを遣わされます。
    「向こうの村へ行きなさい。そうすればすぐに、ろばがつながれていて、一緒に子ろばがいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、私の所に連れて来なさい。」
    『このことが起こったのは、預言者を通して語られたことが成就するためであった。娘シオンに言え。「見よ、あなたの王があなたのところに来る。柔和な方で、ろばに乗って。荷ろばの子である、子ろばに乗って。」』この預言は、ゼカリヤ書に書かれています。
    二人の弟子は、子ろばの背の上に、自分たちが着ていた上着を敷きました。それを見ていた非常に多くの群衆の人々が、自分たちの上着を道に敷いたのです。また、シュロの木の枝を切って道に敷く者たちもいました。これは、最高の敬意を表わす行為です。このことは、詩篇118篇に預言されています。
    「主こそ神。主は私たちに光を与えられた。枝をもって祭りの行列を組め。祭壇の角の所まで。」と。
    さて、この「シュロの日曜日」におけるエルサレム入場は、何を意味しているのでしょうか。まずは、ゼカリヤ書に書かれた予言の成就を表わしていますが、主イエス様が、王の王として、神の御子として、公に、そのことをエルサレムに明確にされた瞬間でもあるのです。
    群衆は、叫び続けます。「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。」と。
    今日の一番重要なポイントは、この時多くの群衆は、本当に心から主イエス様を、熱狂して迎えたことなのです。この時エルサレムは、最も重要な「過越の祭」を迎えていて、世界各地から多くのユダヤ人が集まって来ていました。
    その中には、実際に主イエスによって、奇跡的にいやされた多くの人々もいたでしょう。また「五千人の給食」や「四千人の給食」を実際にその目で見、パンと魚を直に味わった人たちも多くいたに違いありません。
    主イエスの宣教は、ガリラヤを中心として行なわれましたが、ユダヤ全般にまで広がっており、またデカポリスなどディアスポラの町まで及んでいました。
    よって、彼らは、心から主を迎え入れたに違いありません。しかし、その5日後には、同じ群衆が180度変わって叫ぶのです。「十字架につけろ。」と。
    救いは恵みです。しかし、主イエスの信仰に、私たちは留まる必要があるのです。主は、そのことについて、最後の晩餐の後、弟子たちにその真理を教えています。『「私にとどまりなさい。私もあなたがたの中にとどまります。」』》

Comments are closed.