◇◆◇日々のみ言葉
2024年3月25日(月)
◎聖書箇所【マルコの福音書15章39節】
15:39 イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「この方はまことに神の子であった。」と言った。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。再度ですが、現代訳を掲載します。
『15:39 イエスに向かって立っていたローマの中隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「この方は、本当に神の子であった。」と言った。』
カペナウムに主イエス様が来られた時のことです。マタイによりますと、
『イエスがカペナウムにはいられると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、懇願して、言った。
「主よ。私のしもべが中風やみで、家に寝ていて、ひどく苦しんでおります。」
イエスは彼に言われた。
「行って、直してあげよう。」しかし、百人隊長は答えて言った。
「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、お言葉をいただかせて下さい。そうすれば、私のしもべは直りますから。と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。」
イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。
「まことに、あなたがたに告げます。私はイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。
それから、イエスは百人隊長に言われた。
「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。(マタイ8:5~8:10・8:13)』と書かれています。
この百人隊長こそが、主イエスの十字架刑を執行した者ではないでしょうか。もちろん確証はありませんが。
そして、神様の哀れみによって、後に救われたのではないでしょうか。これも私個人の推測にしかすぎませんが。
神様の恵みは、このように異邦人にも、流れ溢れて行くものなのです。主は、十字架上において、霊を父なる神様に委ねられた時に、生きていたすべての人々、そしてその後に生まれ出るすべての人々の為に、十字架に掛かられたのです。この真理は非常に大切です
主は言われました。
『神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」(マタイ22:32後半)』と。》