• 2024年3月31日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書20章19節~23節】(新約聖書p.228上段真中)
    20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。「平安があなたがたにあるように。」
    20:20 こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは主を見て喜んだ。
    20:21 イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父が私を遣わされたように、私もあなたがたを遣わします。」
    20:22 こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
    20:23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」

    ◎メッセージ【週の初めの日の夕方】
    《今日はイースターです。主イエスは、弟子たちに何度も受難予告をされました。特に三度目においては、その時初めて十字架刑になることを預言されたのです。マタイによりますと、
    『「私たちはエルサレムに上って行きます。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡されます。彼らは人の子を死刑に定め、異邦人に引き渡します。嘲り、むちで打ち、十字架につけるためです。しかし、人の子は三日目によみがえります。」』」と。
    しかし、弟子たちにはこの真理が隠されており、また彼らは信じることが出来ませんでした。さて、週の初めの日の朝早く、主イエスはまず始めにマグダラのマリアにそのお姿を現わされます。
    そのことについて、ヨハネは詳細に渡って書き記しています。またマルコは、彼女こそが、主イエスの復活の最初の目撃者であることを述べています。
    『さて、週の初めの日の朝早く、よみがえったイエスは、最初にマグダラのマリアにご自分を現わされた。彼女は、かつて七つの悪霊をイエスに追い出してもらった人である。マリアは、イエスと一緒にいた人たちが嘆き悲しんで泣いている所に行って、そのことを知らせた。
    彼らは、イエスが生きていて彼女にご自分を現わされた、と聞いても信じなかった。〕』と。
    しかし、ペテロとヨハネは、園の墓へ走って行きます。ヨハネは残された亜麻布を見て信じるのです。しかしペテロは信じようとはしませんでした。この後、ペテロは、主にお会いするのです。
    その日の夕方のことです。かぎが内側からかけられていた、ヨハネ・マルコの家の二階の大広間に、主は突然現われます。
    「平安があなたがたにあるように。父が私を遣わされたように、私もあなたがたを遣わします。聖霊を受けなさい。あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」
    特にこの最後の言葉は何を意味しているのでしょうか。それは、彼らに赦していない人が存在することを明らかにされたのです。そして、聖霊が共にいて下さらければ、私たちは人を赦すことなど出来ないのです。
    彼らが最も赦せない人を考えるとしたら、イスカリオテのユダではないでしょうか。そして、次には、主にすべてを捨てて従って来た自分たちではないでしょうか。赦すことは、非常に難しい事なのです。それは、真に聖霊の働きであり、十字架の奇跡と流された尊い血潮の力なのです。主は、本当によみがえられたのです。》

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