• 日々のみ言葉 2015年9月24日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年9月24日(木)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書6章1節】

    6:1 イエスはそこを去って、郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。

    ◎ショートメッセージ

    《エルサレムからサマリヤ経由の道を行くと、ナザレへは近かった。それゆえ主イエスは、弟子たちを連れて、郷里のナザレに行かれたのである。
     
     主イエスは、聖書によれば、公生涯において2回、郷里のナザレに戻っている。最初は、バプテスマのヨハネから洗礼を受け、荒野にて四十日四十夜の悪魔の試みを受け、勝利して間もなくのことであった。

     その時のことについて、ルカがその福音書に詳しく書き記している。

    『それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂にはいり、朗読しようとして立たれた。すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。
     「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」
     イエスは書を巻き、係の者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」
     みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか。」と彼らは言った。
     イエスは言われた。「きっとあなたがたは、『医者よ。自分を直せ。』というたとえを引いて、カペナウムで行なわれたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ、と言うでしょう。」また、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません。
     わたしが言うのは真実のことです。エリヤの時代に、三年六か月の間天が閉じて、全国に大ききんが起こったとき、イスラエルにもやもめは多くいたが、エリヤはだれのところにも遣わされず、シドンのサレプタにいたやもめ女にだけ遣わされたのです。
     また、預言者エリシャのときに、イスラエルには、らい病人がたくさんいたが、そのうちのだれもきよめられないで、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました。」
     これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。しかしイエスは、彼らの真中を通り抜けて、行ってしまわれた。(ルカの福音書4:16~4:30)』

     この時には、郷里の人々は、「この人は、ヨセフの子ではないか。」と言ったのである。そして主イエスが、いつものようにイザヤ書を読まれ、その預言が実現したこと、すなわちご自身が「メシヤ」であることを解き明かした時に、会堂にいた郷里の人々は、主イエスを町の崖から突き落として殺そうとしたのである。何たることであろうか。

     今回は2回目の郷里への帰省である。最初の帰省の時には、まだ弟子たちを連れてはおらず、今回は十二使徒を連れての郷里への帰省であった。

     最初の帰省の時にも、カペナウムでの様々な奇蹟やしるしを行なわれたことが、すでに故郷ナザレにも届いており、評判となっていた。今回の2回目の帰省の時には、ガリラヤだけではなく、エルサレムやサマリヤにおいても主イエスの名声は高まっていた。そして尊敬され、多くのお供の者を連れての帰省である。

     前回は、主イエスがひとりゆえ、殺されかけたのだが、今回は屈強な男たちを十数名以上連れての訪問である。弟子たちが、危険から守ってくれることは一目瞭然である。

     では、なぜ主イエスは、あえて再び故郷ナザレに戻られたのであろうか。そのことについて聖書は、詳しく説明をしてくれてはいないが、主イエスは生まれ育った町の人々のために、また家族のために、来られたのだと私は思う。

     当時のナザレは、小さい町であった。大人たちの誰もが、大工ヨセフの息子イエスを、それこそ幼い時から知っていた。中には、主イエスと同年配の者もいたであろう。もしかしたら幼い頃から、共に遊んだ仲間がいたかも知れない。主イエスにも、幼い頃があった事を私たちは忘れてしまいがちである。

     そして主イエスにも、思春期があった事を私たちは忘れてしまいがちである。主イエスが、一人の男性として、女性という存在を意識した時が訪れたことを、私たちは忘れてしまいがちである。
     主イエスは、私たちが生まれ育って来たように、公生涯を始められる三十才になるまでは、一人の青年として男性として同じように生きてこられたのだ。もちろん何一つ罪を犯すことはなされなかったが、私たちと同じように、誘惑の中を生きてこられたのである。私は、このことを思い巡らす時、本当に主イエスが身近に感じられるのである。

     主イエスには家族があった。父ヨセフと母マリヤ。ヤコブ・ヨセ・ユダ・シモンの4人の弟たち。そして最低2人の妹たちが存在したのである。しかし福音書には、父ヨセフのことが、あまり詳しく書かれていない。父ヨセフは比較的早くに召され、未亡人となった母マリヤ、そして弟たちと妹たちの面倒を、長男である主イエスが見ていたということが、多くの学者の見解である。

     そればかりではない。父ヨセフにも、母マリヤにも、その両親が、すなわち主イエスの祖父母も、そして親戚もナザレに住んでいたことが考えられる。
     その人々のためにも、戻られたのだ。最初と同じように、また歓迎されないことがわかっていてもである。

     私は、この時に、主イエスは、家族や親戚に、「悔い改め」と「良き知らせ」である福音を伝えたのではないだろうかと、思っている。主イエスも家族思いであられ、まことに愛あふれるお方であったのだ。》

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