• 2024年4月28日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【ルカの福音書4章40節~44節】(新約聖書p.117上段左側)
    4:40 日が沈むと、様々な病で弱っている者をかかえている人たちがみな、病人たちをみもとに連れて来た。イエスは一人ひとりに手を置いて癒やされた。
    4:41 また悪霊どもも、「あなたこそ神の子です」と叫びながら、多くの人から出て行った。イエスは悪霊どもを叱って、ものを言うのをお許しにならなかった。イエスがキリストであることを、彼らが知っていたからである。
    4:42 朝になって、イエスは寂しい所
    に出て行かれた。群衆はイエスを捜し回って、みもとまでやって来た。そして、イエスが自分たちから離れて行かないように、引き止めておこうとした。
    4:43 しかしイエスは、彼らにこう言われた。「ほかの町々にも、神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」
    4:44 そしてユダヤの諸会堂で、宣教を続けられた。

    ◎メッセージ【日が沈むと】
    《シモン・ペテロの姑は、主イエスに癒やされますと、すぐに起き上がって、主イエス一行をもてなし、彼らは夕食を取ったのです。
    ユダヤでは、日が沈み、午後6時から新しい一日が始まります。何と大勢の人々が、シモン・ペテロの家に押しかけて来たのです。
    シモン・ペテロのしゅうとめが、主イエス様によって癒やされたことが、町中に広まって、それで、日が沈むと、様々な病で弱っている者をかかえている人たちがみな、病人たちをみもとに連れて来たというわけです。
    イエス様は、一人一人に手を置いていやされました。ここからも、愛の人であることがわあります。
    ある時、重い皮膚病(ライ病)を患った人が主の御許に来て、このように願いました。
    「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります」
    「わたしの心だ。きよくなれ」
    ここから、主の御心は、私たちの病が癒されることであることが分かります。アダムとエバが罪を犯す前には、いのちの木がありました。しかも、その実を食べると、どんな病や怪我も癒されたと私は信じています。なぜ、神様はいのちの木を置かれたのでしょうか。それは、罪を犯さなかったとしても、病や怪我などが、人類の中に存在することを暗示していたからです。残念ながら、最初の人であったアダムとエバは、エデンの園から追い出されてしまいます。しかし、父なる神様は、それから六千年後の歳月を経て、再び「いのちの木」を人類にお与えになられたのです。それが、主イエス・キリストなのです。
    主は、病を癒されたと同時に、悪霊を追い出されました。これは、解放されることであり、自由にされることなのです。パウロは、かつての私たちの姿をこのように書き記しています。
    『さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、 かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。』と。
    救われた人には、聖霊様がその人の中に住んで下さっています。私たちは、自由にされたのです。
    朝になって、主イエスは寂しい所に出て行かれました。カペナウムの人々は、主を捜し回って、みもとまでやって来たて、自分たちから離れて行かないように、引き止めようとしたのです。しかし主は言われたのです。「ほかの町々にも、神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」と。
    ガリラヤ伝道はこうして続けられました。》

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