◇◆◇日々のみ言葉
2024年5月2日(木)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙1章16節~17節】
1:16 私はステパナの家族にもバプテスマを授けましたが、そのほかはだれにも授けた覚えはありません。
1:17 キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。それも、キリストの十字架がむなしくならないために、ことばの知恵によってはならないのです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『1:16 それに、ステパナの家族にもバプテスマを授けたことがあった。しかし、それ以外の人に授けた覚えはない。
1:17 というのは、キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためである。しかも、キリストの十字架の偉力が失われないために、人間の知恵で言葉をもてあそぶようなことはしなかった。』
次に、ステパナが登場します。彼はアカヤにおける最初の回心者でした。それゆえに、パウロがステパナの家族にバプテスマを授けたのです。
よってパウロは、コリントにおいてクリスポとガイオ、そしてステパナの家族にだけ、バプテスマを授けたことが分かります。
ステパナはポルトナトとアカイコと共に、エペソにいたパウロを訪問し、コリントの人々からの手紙を、パウロに渡したものと思われます。
おそらく、彼らの手で第Ⅰコリント人への手紙も運ばれたのではないでしょうか。
また、17節の解釈は難しく、新改訳も現代訳でも、意味が分かりにくく、ここでパウロが言いたいことは、「パウロがバプテスマを授けて、自分の分派に加わる者を増やすために来たのではない」ということのようです。
つまり、アポロ派を主張する人々は、アポロからバプテスマを授けられ、ペテロ派を主張する人々は、ペテロからバプテスマを授けてもらったということが考えられます。
要するに、人を見ているわけなのです。》