◇◆◇日々のみ言葉
2024年8月11日(日)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙7章18節~20節】
7:18 召されたとき割礼を受けていたのなら、その跡をなくしてはいけません。また、召されたとき割礼を受けていなかったのなら、割礼を受けてはいけません。
7:19 割礼は取るに足らぬこと、無割礼も取るに足らぬことです。重要なのは神の命令を守ることです。
7:20 おのおの自分が召されたときの状態にとどまっていなさい。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。現代訳を掲載します。
『7:18 信仰に入った時、すでに割礼を受けていたのなら、その割礼の跡を消そうとしてはならないし、割礼を受けていなかったのなら、今さら割礼を受けるべきではない。
7:19 割礼のある無しはどうでもよいことであって、大切なのは神の戒めを守ることである。
7:20 それぞれが、信仰に入った時の状態のままでいるべきである。』
何度も書き記していますが、パウロの手紙は、ユダヤ人宛てではありません。クリスチャンとなった異邦人である、ギリシャ人やローマ人への手紙なのです。
それにも関わらず、この手紙の内容が、後にパウロを窮地に陥れることになります。
使徒の働きによりますと、
『さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。」と教えていた。そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。(使徒15:1~15:2)』と、
書かれており、割礼の問題が深刻になってしまいました。このことによって、第一回教会会議がエルサレムにおいて行なわれることになったのです。パウロはバルナバを伴って、エルサレムに向かいます。
実際問題として、たとえ、ユダヤ人であったとしても、割礼は、本当にどうでもよいことなのです。なぜなら、主イエスは、祭儀律法をすべて終わらされたからです。
しかし、ユダヤ人たちは、ユダヤ民族の誇りを持ち、ユダヤ人として、昔の人の言い伝え(律法)を守りながら生きています。よって、「割礼と無割礼が取るに足らぬこと」と主張するパウロに対して、怒り、敵対心を持つようになったのです。
主イエスを信じ、教会に加えられたユダヤ人たちの中にも、同じ疑問を持つ者が多く存在していました。しかもパリサイ人や律法学者たちは、パウロを殺そうとするのです。》