◇◆◇日々のみ言葉
2024年9月7日(土)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙9章8節~10節】
9:8 私がこんなことを言うのは、人間の考えによって言っているのでしょうか。律法も同じことを言っているではありませんか。
9:9 モーセの律法には、「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない。」と書いてあります。いったい神は、牛のことを気にかけておられるのでしょうか。
9:10 それとも、もっぱら私たちのために、こう言っておられるのでしょうか。むろん、私たちのためにこう書いてあるのです。なぜなら、耕す者が望みを持って耕し、脱穀する者が分配を受ける望みを持って仕事をするのは当然だからです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『9:8 私がただ単に人間の考え方を持ってきて、権利を主張しているのではない。律法もそのように教えている。
9:9 申命記には、モーセがこのように書いている。「穀物を脱穀している牛に口輪を、その穀物を食べさせないようにしてはならない。」神が御心に掛けておられるのは、牛のことだけだろうか。
9:10 これは、私たちのことにも言及している。クリスチャンの働き人が、その働きによって救われた人々から報酬を受けるのは当然のことである。』
ここでも、パウロは、主の働きをする者が、その働きから報酬を得ることの正当性を述べています。またパウロは、申命記から引用しています。しかも、この節は、上下の文節とは関係なく、突然にこの命令が出て来るのです。
『脱穀をしている牛にくつこを掛けてはならない。(申命記25:4)』と。
クリスチャンの働き人とは、カトリック教会においては、神父や司祭を指しています。そして、プロテスタント教会においては、牧師や宣教師のことを指しています。パウロは、先見の目を持って、このようにコリント教会宛てに書簡を書き記したとも考えられます。
実際問題として、聖職者は、神様と主イエス様に仕える者ですので、この世的な働きの場に、その身を置きながら働きを続けることは難しいかと思われます。
教団の中には、牧師夫妻のアルバイトを一切禁止している教団もあります。まさしく、貧困の中に置かれ、苦しい生活を強いられたことを聞いたことがあります。
日本においては、牧師は貧しい職業と言う認識があります。牧師は、家族を食べさせることは出来ないというわけです。
その中において、パウロ式伝道方法を取り入れた牧師先生がいました。一週間の内、五日間働き、土曜日に主日礼拝の準備をし、日曜日は礼拝をするといった具合です。
とても素晴らしい働きをなされたと聞いていますが、実際には、これでは休む日が一日もありません。残念ながら、今は召されたと聞いています。
私は、聖職者は、パウロが言うように、奉仕に専念すべきかと思います。その方が、霊的な糧を教会員の方々に提供できると思うのです。》