◇◆◇日々のみ言葉
2015年10月12日(月)
◎聖書箇所 【マルコの福音書6章39節~40節】
6:39 イエスは、みなを、それぞれ組にして青草の上にすわらせるよう、弟子たちにお命じになった。
6:40 そこで人々は、百人、五十人と固まって席に着いた。
◎ショートメッセージ
《『するとイエスは彼らに言われた。「パンはどれぐらいありますか。行って見て来なさい。」彼らは確かめて言った。「五つです。それと魚が二匹です。」(マルコの福音書6:38)』
「青草」ということから、この奇蹟が行なわれたのは、春から夏にかけての頃であることが分かる。秋から冬にかけては、青草ではなく枯れ草となるからである。さて、そうだとすれば、日が暮れかかっても、過ごし易い季節である。
主イエスは、この群衆を、組に分けて青草の上に座らせるように、弟子たちに指図した。
さて十二使徒たちは、手分けして人々を百人、五十人と組に分けて座らせたのである。
考えても見るが良い。
男五千人である。女と子どもをあわせて二万人以上の人々を、十二使徒は、手早く座らせたのだ。今なら拡声装置があって、マイク片手で指図出来たとしても、これほどの数の人々を誘導するには、かなりの根気と忍耐と、時間を要するはずである。それを、マイクなど存在するはずはない時代に、彼らはやってのけるのである。これはすごいことだ。
また「百人」「五十人」とは、誰の数であろうか。当時は、男の数しか数えなかった時代であるから、男の数と考えたほうが普通である。
多くの場合、ユダヤでは、このように行動する時、家族単位で参加していることが多いと尾山令仁先生は言われる。
それゆえ、「百人」「五十人」と言ったとしても、女と子どもをあわせると、それこそ三百人以上、あるいは百五十人以上の人々が、組を作って座ったことになる。
さて群衆も、そして十二使徒も、主イエスがこれから何をなされるのか、皆目見当がつかなかった。人々は、弟子たちの指図に従って、組になって座った。弟子たちは、とにかく言われるままに、主イエスに言われた通りに従った。
ここに大切なことがある。
私たちは、時折、まったく理由がわからなくとも、主イエスの語られた言葉に、聞き従う必要があると言うことである。そして従え終えた時に、神の御わざを見るのだ。
群衆の人々も、そして十二使徒たちも何かが起きることは、察していたはずである。しかし、この時、どれほどの人々が、主イエスに期待していたであろうか。
「期待」の無い所に、主の奇蹟は起こらない。神の御わざは起こらないのである。
使徒ヨハネは、ピリポとアンデレが、主イエスに答えたことを書き記している。
『ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」(ヨハネの福音書6:7)』
『弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」(ヨハネの福音書6:8~6:9)』
この言葉からも分かるように、十二使徒たちも、期待していなかったのだ。私たちはどうであろうか。今も主イエスに期待しているであろうか。期待し続けているだろうか。
そこが問われることである。
『約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。(ヘブル人への手紙10:23)』
この方を信頼する者は、あわてることがない。この方を信頼する者は、失望に終わることがない。
私たちは「期待」すべきである。「期待」し続けるべきである。必ず、主の最も良き時に、最高のタイミングの時に、主の御手がくだって来ることを。力強い主の御手が、触れてくださることを。》